香りってなに

「かおり風景」第37回掲載/令和4年

 香りって、何なのでしょう。あまねく広がります。風にのって運ばれてしまいます。姿が見えません。でも、どこかに溜まったりします。気がつく人もいれば、気がつかない人もいます。ほんの少し出会うと嬉しくなりますが、かといってずっと楽しみ続けることができません。すぐに慣れてしまいますから。
 あまねく広がる。何か頼りなくも感じるし、みんなに行き渡ってしまうなんて、あまり価値のないものに思えてしまうかもしれません。私だけに......なんていう特別感に価値を見出すことの多い現代の消費社会において、誰もに、どこへでも、なんていう姿勢はあまり歓迎されないですよね。でもね。気がつく人もいれば、気がつかない人もいる、ということに気がつくなら、みんなに届いているはずの香りに私は気づくことができている......ということが、実は何か意味を持つと思いませんか。ちょっと嬉しくなってきませんか。道を歩いていて、ふっと何かの花の香りに気づいた時。沈丁花やクチナシであったり金木犀であったり。季節の移ろいにふと立ち止まることができる人の感性って何なのでしょう。そんな感性を持ち合わせている人の日常のリズムって、どんなでしょう。何か素敵じゃないですか。豊かじゃないですか。
 特定の方向だけに......強くこれでもかと強制的に......誰もが気がつくように。私たちの周辺にはこのような刺激的な情報がたくさん溢れています。気がつくと、誰かによって特定の意志を持って作為的になされていることの多い現実に、ちょっと怖くなってしまいませんか。そのほとんどが、視聴覚の世界なのです。デジタル化できた視聴覚情報はとても作為が効き易く、その分、加速度的に私達の生活空間を席捲(せっけん)しています。
 香りは、自分から踏み込んでくるかのようにその存在を押しつけたりはしません。もし強く踏み込んできたら、それは、臭いと呼ばれてしまいます。香りもデジタル技術の中で作為的に扱うことができるだろうとの模索が続いています。でも、考えてみてください。色は、その構成要素が確定され、RGBの世界が素晴らしい再現性を確立してくれました。しかし、香りの構成要素なんて、限定できるものではないのです。分析して化学物質として再生することはできても、色の世界のように全ての色を組み立てる基本要素が確定されるわけでもなく、ましてや電気信号として配信できるものではありません。現段階では、厳密な意味で全く不可能と私は考えています。
 特定の方向だけにしか届けられない光と比べて、また物に遮られて先を奪われてしまう光に比べて、あまねく広がるという香りの持つ力は不思議だと思いませんか。その存在を知覚できる感性がどれほどに大切なものなのか、私たちの人間性そのものに大きな意味を持つことだと思えてしかたがないのです。香りに惹かれる......心の豊かさ。そしてその印象や記憶に憧れることのできる豊かさ。人としていただいた命の豊かさではないでしょうか。

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。