大型犬、小型犬、超小型犬と、私の散歩相手は3代目になっている。四季の移ろいを肌で感じながら、朝の空気が美味しい。歩きながら小さく口ずさむ歌は、決まって、昔々ギターを弾きながら歌った曲だ。
1960年代後半、中学生の頃、京都ではフォークソングが大きなうねりを起こしていた。その後の時代に東京発信で一つのジャンルとして認知されたフォークソングとは似て非なるものだ。社会の矛盾や歪みを直視する学生たちの素朴な歌声だった。当時の社会環境には、戦後復興という名の下に進展する文明化の勢いに歪みが生まれつつあった。忘れもしない曲の一つに、半世紀も昔に到来しつつあった自動車社会を見つめた歌があった。「赤や黄色、白や緑、厚化粧の獣が通る」と警鐘を鳴らしている。一日に奪われる命が30という数字は、その後どのように推移してきたのだろうか。
開けて頂戴、叩くのは私、
あっちの戸、こっちの戸、
私は叩くの、
怖がらないで、見えない私を、
誰にも見えない、死んだ女の子
炎が飲んだの、私の髪の毛を、
私の両手を、私の瞳を、
私の身体は、一掴みの灰、
冷たい風に、拐われていった灰
(『死んだ女の子』
作詞:ナーズム・ヒクメット)
訳詞:中本 信幸
作曲:外山 雄三)
この歌は、原爆に焼け死んだ少女の無念と願いを歌っている。戦争の生々しい体験が人々の記憶の中にまだまだ生きていたのに、ベトナム戦争の悲惨な報道が続いていた。平和を希求する若い血が、社会派の叫びを次々と歌にしていた。米国から届く反戦歌も合唱されていた。
おいらの空には穴がある
おいらの空は鉄板だ
娑婆の空にはよ
太陽がさぞ明るかろう
おいらの空にはよ
裸の電燈が暗い
(『おいらの空は鉄板だ』
作詞・作曲:すずき きよし)
東京オリンピックが成功裏に終わった後、わが国の高度成長時代は一段と加速していった。都心のいたるところで地下鉄工事の鉄板が敷かれ、飯場作業が展開された。進展する文明社会を支える出稼労働も事実だった。
丘の上に たくさんの
ペナペナ板でできている
ちっちゃな箱 ちっちゃな箱
みんな同じ
(『小さな箱』
作詞・作曲:マルビナ・レイノルズ)
大都市の郊外が次々に開発され、戸建て住宅に憧れた。みんなが信じたそんな文化的な暮らしぶりに対する社会風刺も歌になっている。
この他にも『イムジン川』や『思い出の赤いヤッケ』など、自分が十代の頃、その前を行く世代が歌う姿の後を、いか程熱く追いかけていたことか、半世紀近く経った今になって不思議に自覚を改めている。
毎日、仏前に香を焚くことによって、その生活空間は自ずとその妙香に染まる。そのことから、積み重ねる日常でその人となりが醸成されるという教えを「熏習(くんじゅう)」という。私にとって、ひたすら歌ったあの社会派フォークソングが自分の中に今も流れ、価値観を形成し、情緒や哲学にもなっている。何か恐ろしい感もあるが、心豊かな時間を送ることのできた自らの成長期に改めて感謝している。
まさに私が身にまとうことのできた移り香、ささやかな勲章のように誇りにしたい。
JASRAC 出 1606048-601
LITTLE BOXES
Words & Music by Malvina Reynolds
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筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)
千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。