表意と表音

「かおり風景」第38回掲載/令和5年

 きひとつはき、きふたつならぶとはやし、みっつかさねてもり。

 日本の文字文化は、実に巧妙だと思う。同じ文章でも、

 木一つは木、木二つ並ぶと林、三つ重ねて森。

 表意文字と表音文字、表意文字の多くは象形文字。大陸との交流が始まる中で、我が島国の人々は、東アジアの叡智に出会い、高度な文明文化を学ぶ機会を得た。文字もその一つ。漢の国からもたらされた文字なので漢字と呼ぶ一方、その漢字こそが文字だと敬意を込めて真名とも呼んできた。しかし最終的には、その音をうまく利しながら、独自の表音文字を生み出し、仮の文字という意を込めて仮名と呼び、自らの文字として便利に使いこなしている。その上に、国字と呼ぶ独自の漢字まで多数創作して、表意文字の利点を増強までしてきた。
 8世紀初頭に二つの歴史書が編纂された。古事記と日本書紀だ。二つの歴史書が漢の文字によって書かれながら、日本書紀は大陸様式で書かれ、古事記は文字の音を利用して文法は大陸の表記方法にこだわっていない。この頃から200年ほどの時間の中で、「安」が「あ」、「阿」が「ア」、「以」が「い」、「伊」が「イ」、「宇」が「う」や「ウ」、というように表音文字が音節文字として成立した。
 日本の文字文化の凄さは、この表意文字と表音文字を混在させながら使いこなすところだと思う。このような文字表現を行える人々は、世界に他にいないのではないだろうか。歴史の中では、私たちと同じように漢の文字を使いこなしていた民族は複数あった。韓半島やベトナムのように、ある機会に漢字を廃して独自の文字文化に切り替えた民族がある。今、彼らの文字文化は表音文字だけになっている。
 民族の独自性を確固たるものとする必要から、他民族の文字に訣別した人々。それに比して、その必要性を感じることのなかった島国という地政学的な好立地。表意文字の持つ豊かな表現力を随意に使いこなし、自らの心、哲学や論理などを表現できる文字文化が育くまれてきた。古今集の仮名の序にある「やまと歌は人の心を種としてよろずの言の葉とぞなりにける」を書き留めるために、発展してきたのだろう。
 千年も昔に、女流文学が偉大な足跡を残し、今もその文字を読むことができるなど、世界的に見ればとても特異なことなのだろう。この文字文化の不思議は、日本文化の不思議そのものだと思う。私の担当している香文化も同じだと感じ、考えている。

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。