入賞作品の発表

第36回 「香・大賞」

銅賞
『 燻炭(くんたん)の香り 』
高山 恵利子(たかやま えりこ)
  • 67歳
  • パート
  • 群馬県

 貧しい農家に生まれた祖母は、米の1粒も小麦粉の1さじも大切にする「たまか」な人だった。「たまか」とは方言で、物を大事にするという意。祖母は腐れ芋で蒟蒻(こんにゃく)を、採れすぎた菜で凍(し)み菜(な)を作った。たまかな祖母は小さな籾殻(もみがら)さえも燻(いぶ)し、炭にして使った。
 籾摺(もみす)り作業が済むと、祖母は庭で火を熾(おこ)しその上に煙突をかぶせ、周りに籾殻を盛った。ゆっくり時間をかけ籾殻を燻すのだ。祖母はつかず離れず1日中火を見守っているらしく、沿道まで立ち上る白い煙の中から忽然(こつぜん)と姿を現し、学校帰りの私を出迎えた。そして煤(すす)けた顔で「腹が減ったか?」と聞いた。その時分には煙と共に立ちあがった燻(いぶ)し香(が)が、家も家畜小屋も、実がわずかに残る柿の木までも覆い尽くしていた。燻し香に包まれると、家も粗末な家畜小屋も、落葉した木々さえもぬくぬくと見え、空腹さえ忘れた。出来上がった籾殻の炭は、真冬の寒い日に熾火(おきび)の上に置くと、日向くさい稲穂の香りが部屋中に満ちた。火が消えても残り香のこもった部屋は、それだけで暖かかった。真綿のような柔らかな温もりは、晩秋のわびしさを掻き消してワクワクする初冬を予感させた。けれど一方で私は野放図(のほうず)に広がる燻し香を恐れた。燻し香にのって、祖母の浅ましい節約術が村中に露呈(ろてい)する。私は燻し香をかき集め、消したかった。
 それが大人になって、籾殻焼きは酸性度の高い日本の土壌改良剤として使われたと知る。籾殻焼きは祖母の浅ましい節約術ではなく、燻炭という名称があることも知った。祖母は畑に撒いた残りを保温材に利用していたのだ。
 私が事実を知った時にはもう、祖母も「たまか」という方言も、燻炭の香りも故郷から消えていた。急がず欲張らず、物の命を愛おしみ、使い尽くしたたまかな暮らしは、賢さと豊かさに満ちていたのに。たまかな暮らしを浅ましいと恥じた私。腐れ芋の蒟蒻と、凍み菜、燻炭の香り漂う質素な暮らしこそ、私の人生で1番豊かな日々であったと思う。