寮生が車座になって小さな郵便小包を囲んでいた。「早(は)よ開けろ」喧しく急(せ)きたてる町工場(まちこうば)の薄暗い寮の一室。金の卵と称し、地方から集団就職で出て来た悪ガキどもがいた。食べ盛りのまだ
あどけない坊主頭の15~16歳の少年達だ。『ヨモギ餅』と『吊るし柿』を、箱がはち切れんばかりに、詰め込まれてあった。
「うわっ ヨモギ餅じゃ 吊るし柿じゃ!」
新聞紙に巻かれた咲き始めの「ネコヤナギ」の花穂が、箱の隅によれ曲って4~5本入っていた。オカンからの初めての小包である。
「ヨモギ餅は
初もん吊るし柿は正月の残りもんじゃ。
みんなで
食べんさい。ネコヤナギは、小和気川の岸でとって来たよ。珍しゅうは無いけど田舎の春の匂いじゃ思うてな。先輩の教えをよう聞いて、ええ職人に
なりんさいよ」
ヨモギ餅に挟まれ湿った手紙だった。
6人兄弟の末っ子。オカンに手を引かれた記憶など一度もない。貧農の山里。口減らし同様に大阪へ出て来た。周りの寮生も同じ境遇の者の集まりである。ガキのころ家(うち)では『要らん子』かと何度思ったことだろう。
このオカンの心づくしの小包に、生まれて初めて隔(へだ)たりのない母の愛を感じた瞬間だった。
「ワシも人並みの親の子だったんじゃ!」
一雫(ひとしずく)が便箋に滲んで広がった。ネコヤナギの毛花を嗅(か)いでみる。何の匂いもないほんの少し生臭い。手紙にある春の香りかなァいやオカンの匂いだろうか想いがゆれる。寒い朝ネコヤナギを、川岸で刈るオカンの姿が浮かんだ。
「こーちゃん 餅が焼けたぞ!
うんまいぞ!」
この餅と香り、ガキのとき喰った味とはちがいチョット大人になった気分の味に変わった。
母は「母ちゃん」から「オカン」と呼ぶようになる。会話で「おふくろ」と呼ぶようになって20年後の正月だった。あんなに強がり云っていたオカンが、背も丸くなって小さく見えた。
3ヶ月後(のち)、あっけなく97歳で逝った。
やっぱりネコヤナギの膨らむころだった… …。