入賞作品の発表

第40回 「香・大賞」

佳作
『 3個の桃の事件 』
のぞみ
  • 徳島県

 それは部活の合宿が終わった日曜の朝のことだった。帰宅すると、事件が起こっていた。
 玄関のドアを開ける。かすかな甘い香りが鼻を擽った。ははあ、もぎったのかな。けど、待てよ。違う、と思った矢先、中からの大きな声が耳をつんざく。
「どうしてくれるん!」
びくっと肩が撥ね、土間に靴を脱ぎ散らかしてすぐ横の和室に入ると、うなだれて正座している父の前で、母がものすごい形相で睨み付けているのが目に飛び込んだ。いい香りと正反対に、室内の空気に緊張感が漂っている。
 臭いのもとは、畳の上にある桃の実、3個で、部屋の中ははっきりとその桃の甘い香りが漂っていた。そして緊張の空気の原因は、父にあることは容易に推理できた。
 3年前、10歳の妹が鉢に植えた苗木。それは近所に住む妹の親友が転校するときにもらった桃の木である。びっくりするくらい生育が早く、この夏に収穫を迎えていた。薬剤の散布、摘果・袋かけなんかの世話もすべて妹がやっていた。そして、3年ぶりの親友が間もなく来て、一緒に収穫するというのも母から聞いていた。たぶん父にも話してあるはずなのに。けど、父はもぎ取ってしまったのだ、昨日の夜に。
「酔ってたからって……、あんた、これがどういうもんか知っとるやろ」
青くなった父は
「す……、すまん。覚えてないねん」
 1週間後、親友が訪れた。
「なに、これ……」
親友は、はて? と眉をひそめた。そこには、セロテープでつながれた3個の桃がぶら下がっている。訳合いを妹が話し、2人で大笑い。親友は桃に鼻を近づける。
「……ええ臭いやな。大事にしてくれてうれしいわ。ありがと」
 あれから、50年。庭に地植えした桃の臭いをかぐ。そのフレッシュな香りを味わうかたわら、89になった母と亡き父のあのしょんぼりした顔を思い出していた。
「あのあと、どうなったんだっけ?」
「父さんに一番に桃をあげたんや。可哀想やったからな」
母は遠い目をして、懐かしそうにそう言った。