授業を終えて教卓を片付けていた私は、子ども達の様子がいつもと違うことに気がついた。普段なら、私より早く教室を出ていく子ども達がだれ一人として席を立っていない。「みんな、どうしたの」と声をかけようとしたとき、後ろから2人の女の子が歩いてきた。そして、小さな紙袋を差し出し「センセイ、おめでとうございます」と言った。私が驚くのと同時に、座っていた子ども達が一斉に手を叩く。そして、順に前に出てきて「おめでとうございます」と言い「センセイ、またあした」と言って、次の授業へと教室を出て行った。
静かになった教室。教卓の上の紙袋。じわじわと感情がこみ上げてくる。紙袋の中には1本の香水が入っていて、添えられたカードには、習いたての平仮名で「おたんじょうびおめでとうございます」と書いてあった。
だれかが思いつき、みんなに声をかけたこと。当時けっして裕福とは言えない国の子ども達が自分のお小遣いからお金を出し合ってくれたこと。それをだれかが集めて、中心部の百貨店に買いに行ってくれたこと。気づかれないようにそっと準備を進めたこと。一つひとつのシーンがありありと目に浮かび、胸が詰まった。彼らは、私が海外で初めて受けもった子ども達、日本語を学ぶために中等学校に入学したばかりの1年生だった。日本を出て仕事をすることに迷いも不安もあったけれど「来てよかった」と心から思った。
あれから20年以上が経ち、その間に職場も数回変わった。生活全般に大きなこだわりはなく「ことは足りればよし」との思いで暮らしているが、香水だけは一択。ずっと同じ香りをつけている。たまに香りを褒められると、私は嬉しくなって聞かれもしないのに、この話をする。そして、さらに嬉しくなる。
今日も香りとともに仕事に向かう。この香りが、あの子ども達が、明日の私へと背中を押してくれる。