入賞作品の発表

第34回 「香・大賞」

金賞
『 おむつデビュー 』
高田 政明(たかた まさあき)
  • 39歳
  • 会社員
  • 滋賀県

 「僕の時は、いつもうんちじゃない?」
僕はその日、2人のおむつを替えた。娘と祖父のだ。なぜか僕が替える時に限って、大の方をしているのは気のせいだろうか。
 生後3か月の娘のうんちは、まだ無臭で、ほのかに炊きたてのご飯のような匂いがあるだけだ。目に入れても痛くないわが子だから、そのうんちさえも愛おしい。汚いと感じたこともないし、おむつ替えが苦になったこともない。僕の母の時代には、おしめを替えるのは女性の仕事だったらしいが、今は新米パパもおむつデビューを果たす時代だ。
 ところがそれが祖父のとなると、途端に気が滅入る。老人の人糞は饐(す)えたような独特の異臭を放つ。祖父は米寿を過ぎても毎日田畑に出て農作業に励んできたのだが、風呂場で足を滑らせて以来寝たきりの生活を強いられるようになった。気位の高い祖父は初めおむつをするのを頑なに拒んだが、数度の粗相の末、ようやく観念しておむつデビューしたのである。祖父と血がつながっている男性は孫の僕だけなのだが、祖父は、祖母や娘など、女手によっておむつを替えられることに非常に抵抗があるようで、そうすると僕の出番となるのだ。
 「じいちゃん、おむつ替えよっか」
僕は意識的に第一声を明るくし、部屋の窓を開け放った。マスクを付けたい気持ちをぐっとこらえる。それはきっと祖父を傷つける気がしたからだ。外したおむつを消臭専用のゴミ箱に丸めて捨てながら、僕は、小さい頃、祖父に抱かれていて祖父の胸に派手に嘔吐したことを思い出した。祖父は心配して背中をさすってくれていた。
 生まれたときも死ぬときも、人間は誰かにおむつを替えてもらわねば生きられない。けれどそれは永遠には続かない。娘のうんちはやがて臭うようになったが、それでもようやくおむつは取れた。祖父は今年の夏逝った。今となっては、おむつの臭いすら懐かしい。