また自分を優先しなかった。帰る間際に急遽入った仕事のせいで、楽しみにしていた飲み会をドタキャンした金曜の帰り道。品薄のコンビニで仕方なく選んだポトフとサラダチキンを入れたエコバッグをぶらぶらさせながら、人通りの少ない夜道を歩く。仕事を優先したのは、他の誰でもない私自身が決めたことで、それは正解でも不正解でもない。けれど、迷わず仕事を優先したしょうもない自分の選択に、私はつくづくがっかりしている。仕方なかった。でも、本当に仕方なかった、のだろうか。こうやって幾度となく自分の楽しみを諦めるうちに、すっかり諦め癖がついてしまった。そしてそのせいで、真綿で首を締められているかのように、だんだん私の気道は狭くなっていく。きっと気付いた頃には、もう上手く呼吸ができなくなっているのだろう。
涙で滲む月は、今日に限ってやけに明るくて、思わず夜空を睨みつけた。勢いよく鼻をすすった瞬間、ふわっと金木犀の香りが身体に入ってきた。柔らかくて甘ったるい、特徴的な香り。近い香りのコロンを探して、こっそり仕事中につけているが、やはり本物には到底及ばない。オレンジ色の小さな花が咲くので、謙遜・謙虚という花言葉があるらしいが、私はその謙虚さの奥に、確かな強さがあると思っている。どこにいてもそれとわかる印象的な香りからは、他のどんな香りとも混ざり合うことなく、静かにその存在を主張する意思と、ある種の強かさのようなものを感じる。そしてそれゆえに、決して人工的には再現できない。
鼻をすするたび、しつこいくらいに香るので、なんだか気が散って涙が止まってしまった。どうやらまだ私は、呼吸できているらしい。
家に帰ったら、推しの動画を観よう。お気に入りの入浴剤を入れて、ゆっくり湯船に浸かろう。
立ち止まって、縮こまった気道を押し広げるように、ゆっくり大きく息を吸った。金木犀が香る、私のためのこの夜を、丸ごと吸い込むように。