入賞作品の発表

第33回 「香・大賞」

銀賞
『 対話 』
南川 亜樹子(みなみかわ あきこ)
  • 39歳
  • 司書
  • 香川県

 祖父の遺品を整理していた時のことだ。ふと、祖父のズボンのポケットに僅かなふくらみを感じた。中を探ると、見覚えのある仁丹ケースだった。振ってみると、カラカラと乾いた音が鳴る。辺りに生薬とハッカの混じった独特の匂いが漂い、祖父の思い出が蘇った。
 祖父は食後に仁丹を口に含むのが習慣だった。幼い頃は私がいくらせがんでも「大きくなったらな」と言い、貰ったことが無かった。
 中学3年の春、両親との心のすれ違いから、少し荒れた時期があった。ある時、私は深夜に出歩き、警察に補導されてしまった。警察署に迎えに来たのは祖父だった。いつもの優しい笑い皺は、この日は悲しみを刻んでいるように思えた。帰り道、祖父の骨ばった背中を追いながら、黙って歩いた。20分ほど歩いた頃、古い喫茶店の前を通りかかった。
「腹減ったな。なんか食うて帰ろ」
ガランとした店内に入り、祖父はトーストとココアを二つずつ頼んだ。重い空気に押しつぶされそうで、私は身を固くして俯いていた。
「手、出してみ」
早々と食べ終えた祖父が差し出したのは、仁丹ケースだった。思いもよらない言葉に驚いて祖父を見ると、あの柔らかい笑顔が私を包み込んだ。促されるまま広げた私の手に、祖父はカシャカシャと仁丹を振り出した。戸惑いながらも、私は恐る恐るそれを口にした。
「うわ! なにこれ」
口の中一杯に強烈な苦みが広がり、次の瞬間薬とハッカの香りが鼻に抜けた。祖父は目を白黒させる私を見て、クスクスと笑っていた。
「旨ないやろ? アコはまだ子どもや。せいだい悩んで失敗せな、大人になられへんで」
 後で聞いたことだが、私が補導されたと聞き、なりふり構わず一番に家を飛び出したのが祖父だったそうだ。遠い仁丹の記憶に浸りながら、古びたケースに残った仁丹を一粒、口に放り込んだ。うーん、やっぱり苦い。
「おじいちゃん、私、まだまだやわ」