入賞作品の発表

第35回 「香・大賞」

銅賞
『 何かの拍子に 』
福田 栄紀(ふくだ えいき)
  • 63歳
  • 会社員
  • 岩手県

 かおりとゆかり、父はよく私の嫁の名を本人の前で平気で呼び間違えていた。いつもではないが、何かの拍子にそうなるのである。悪気も自覚も全くないのだろうが、まだ惚けてもいないのに、全く失礼な話だ。父が「かおりさんや」と呼ぶたび、私はキュッと身が縮み、心の中でスマンと小さく呟いた。
 が、私も父のことを偉そうに言えない。子供の頃、私は沈丁花と金木犀をよく間違えた。この2つ、花の色、形、香り、それに声にした時の音が明らかに違う。こんなに違うものをなぜ私は間違えるようになったのだろう。
 柚子農家である実家の庭先には、父が好きな花木があれこれ植わっていた。その広めの庭には沈丁花と金木犀の木もあった。
 咲く季節は、各々春一番、秋一番と異なる。香りそのものも全く違う。しかし、私にはこの2つの花の持つ雰囲気がどことなく似ているように感じられる。どちらも香りが強烈、かつ個性的だ。そして、その香りの漂い方が似ている。時に意外なほど遠くまでスーッと足を伸ばし、そのままその一隅に佇んでは、誰か訪ねて来るのをそっと静かに待っている。と思えば、ある時は、そこに木があるとはつゆ知らず、すぐ傍を通り過ぎようとする者に「待て、ここにいる私様が鼻に入らぬか」とばかり強烈に自己主張し、グッと漂い迫る。
 2つの花の名を各々教えてもらった時、子供の柔い脳は、ちゃんと沈丁花と金木犀を区別して覚えたのだろう。が、どちらも強い香り、におい方も似ている。そのせいで何かの拍子に、2つの記憶の回路が混線してしまったのかもしれない。
 父は、柚子や好きな花木の姿だけでなく、その香りをかぐのを秘かな楽しみとしていたのか。そんな香りを満喫した後、かおりさんという言葉がふと口をついて出てしまったのだろうか。柚子採りが始まるこの初冬、今は亡き親父贔屓の想像をふと膨らませてみたくなる。