私が子どもの頃は、あちこちで焚火をしていた。中でも多かったのは、建築現場での焚火だ。現場で出た端材などを燃やしていたのだろう。霜柱をザクザク踏む寒い朝に学校へ行く道で焚火を見つけると、寄って行って、かじかんだ両手を炎に広げたものだ。
大抵、掌よりも先に顔の方が、熱く赤くなってくる。手をもうちょっと温めたいと腕を伸ばしていると、大工のおじさんが「そっち行くぞ!」と声をあげ、同時に風に吹かれて向かってきた煙に、全身が包まれる。煙が目に染みて、あわてて身を引くが、一瞬で頭からセーターまで焦げた匂いが全身にこびりついてしまう。
「今度はそっち!」
煙草を手にしたおじさんが、笑いながら叫ぶ。煙から逃げる子ども達。追いかけるように、また風向きが変わる。
「こりゃいかんなあ。もう学校に行き」
燃える木材をかき混ぜながらおじさんが言うと、子ども達は焚火から離れて学校に向かう。笑顔で見送るおじさん達。
思えばあの頃は、大人と子どもの間に壁はなかった。大人達は当たり前に子ども達を見守り、子ども達は臆することなく、大人達に話しかけた。その間に温かい焚火があり、煙の匂いがあった。
今は温暖化への配慮もあり、焚火は難しくなった。代わりに広まっているのは、バーベキューだろうか。
しかし、バーベキューは、非日常のイベントだ。日常生活の中で知らない者同士が体を温め合う、あの頃の焚火とは、違う。
もう行かないと遅刻するぞと促す大人達。炎にあぶられてまっ赤になった頬で走り出す子ども達。頭や服に籠った燻製のような匂いは、誰もが支え合っていた時代の幸せな匂いだったのかもしれない。あの匂いは風に散って、記憶からも消えてしまうのだろうか。あの匂いに代わるものは、どこにあるのだろう。