入賞作品の発表

第22回 「香・大賞」

金賞
『 母 』
宗林 智子
  • 37歳
  • 主婦
  • 東京都

 子供嫌いの私は、37歳になった今年、思うところがあって子供をつくった。悪阻(つわり)のせいで、匂いや香りに敏感になった。まだ数ミリという小さな命に、嗜好も肉体も支配されているという不思議さに驚かされた。毎年、初夏になると、鼻を近づけていた黄色い草花の香りも、今年は不快なだけだった。お気に入りだった薔薇の香りのボディソープやパウダーは、しばしおあずけとなり、代わって無香料の石鹸がお風呂の友になった。妊娠5ヶ月目に入ると、悪阻はピタリとおさまり、匂いや香りに抵抗はなくなってきた。それは喜びであると同時に、神聖な赤ちゃんが俗っぽさに慣れてしまったようで残念な気もした。毎晩、むくみに良いと言われるツボを押してくれていた夫が或る時「ん? 赤ん坊の匂いがする」と言い出し、私の周辺をくんくんと嗅ぎ始めた。体のどこからなのか特定はできないが、確かに赤ん坊独特の乳臭い匂いがするのだという。夫曰く、乳房やお腹の辺りだというが、近づきすぎると全く匂わないのだ。外見の変化だけでなく、こんな風に少しずつ母親への準備が整っていくのは神秘的だった。8ヶ月目に入り、そろそろ入院準備品を揃えることにした。当面のベビー服は、友人からのお下がりで十分間に合うほど集まった。天気の良い日にそれらを洗濯した。大き過ぎるハンガーにまるで凧の様にピンと張り付いた小さな布は、何とも可愛らしく、一枚一枚丁寧にたたんでいると、嬉しさがこみ上げてくる。その夜、どこからともなく赤ん坊くささが漂ってきた。確かに私の体、そして洗濯したばかりのベビー服から出ている。あと2ヶ月で家族が一人増える待ち遠しさと、臍の緒でつながるという考えてみればとてもユニークな体験に、今更ながら名残惜しさも感じていた。言葉を交わせなくても、胎動や匂いで自分の存在を表す命に、むしろ私の方が癒されている。ゆっくりと幸福を味わう私に応えるように、お腹の赤ちゃんが強く蹴り返した。