入賞作品の発表

第41回 「香・大賞」

佳作
『 対話 』
四ツ橋 樹(よつばし いつき)

 匂いは植物の言語だという。例えばトマトは芋虫に襲われると、数百メートル先まで届く揮発性物質を作り出す。これを受け取った周囲のトマトは、苦味成分や殺虫タンパク質で防御態勢を取る。さらにこの匂いは、芋虫の天敵である寄生蜂を呼び寄せる。植物は、透明な言語で環境と対話をしている。
 匂いを作るにはエネルギーがかかる。テルペノイド、脂肪酸、フェニルプロパノイド。何段階もの酵素反応を経て、ようやくひとつの香り分子が生まれる。植物はこれを無意味に作るわけではない。匂いには、環境に対する何かしらのメッセージが込められている。ところが、そのほとんどは解明されていない。
「異星人の言語みたいなもんだよ」
植物の研究をしている友人は、そう語る。

 祖父の墓の前で、そのことをふと思い出した。墓地は草花の匂いで溢れている。
 祖父は、ぼくが大学生の時にガンで死んだ。高知の田舎で漁師をしていた。小学生の頃に、川でアユの釣り方を教わったのを覚えている。
 菊、カーネーション、百合――何かを語り掛けてくるような匂いを吸い込む。
 祖父がどんな人だったかと聞かれると、うまく答えられない。高校生くらいからは、ほとんど会いに行かなかった。最後に会った時は、すっかりやせ細り、言葉もうまく喋れないようだった。どちらかと言えば、寡黙な人だった気がする。若い頃は、祖母に暴力をふるったこともあるという。肝臓にガンが見つかってからも、煙草を吸って医者を呆れさせた。一筋縄ではいかない人だった。
「ほら、見ろ!」
運転中にハンドルから両手を離して万歳し、助手席のぼくと兄を驚かせたこともある。
 もっと会いに行けばよかった。墓の前で手を合わせながら思う。どんな人だったのだろう。何に喜び、何に怒り、何に泣いたのだろう。今となっては何もわからない。
 静かな風が吹き、草花の匂いが立ちのぼる。透明なお喋りは続いている。ぼくたちはそれを聴くことはできない。それでも、声は途切れることなく、語り続けている。