着ていく服がないんだってば。
去年買ったPコートがあるでしょ?
あれは通学用、私服で着たくないの。お願いだから。
お父さんを説得できたらいいわよ。
高校2年の修学旅行を前に、母と交わした会話だ。後日、母が「よかったらこれ着ていってよ」と渡してくれたのは、カウチンセーターだった。編み物が趣味の母がわざわざ教室に通って、古着好きの息子を驚かせようと丸1年かけた大作だった。その分だけ、防虫用の樟脳も強く染み込んでいた。
「こんな臭いの、着ていけないよ。重いし」
母は「そっかあ」と文字通り肩を落とした。
東北の小都市にある大学に進学が決まり、神奈川の実家を出ることになった。2年目の冬、仙台の古着屋巡りをしていると、初めて(そしてそれきりないが)ファッション雑誌のストリートスナップに声をかけられた。発売日に書店に行くと、ページの端っこに僕の写真が掲載され、一言コメントにこうあった。
〈ネイティブな雰囲気のするカウチンセーターは、なんとお母さんの手作り!〉
母に報告すると「すぐ本屋さん行ってくる」と言って、折り返し電話がかかってきた。「かっこよく撮れてるじゃん! わーうれし」。
就職で関東に戻り、結婚して長女が生まれた時には「おくるみ」も編んでくれた。ほどなく、母にガンが見つかった。入退院を繰り返す中、僕ら夫婦には第二子となる長男の妊娠がわかった。「大きくなったらカウチン編んであげてよ」。「あれは無理。大変だったんだから」。未来を話すことが母の気力になればと念じたが、かなわなかった。長男が生まれる前に、母は亡くなった。
四十九日を過ぎ、実家を整理した。編み物グッズのケースからは樟脳が強く香る。奥から、僕が載ったあの雑誌が出てきた。〈なんとお母さんの手作り!〉の文字にマーカーが引いてある。横に貼られた付箋には「着てくれていた! 似合ってる!」と書いてある。誌面を閉じると、20年分の樟脳の移り香が、埃とともに舞い上がった。そうか、母とはもう会えないのか。瞬間、いまいち実感を伴わなかった喪失が、急に輪郭で縁取られた気がした。泣きに泣いた。