入賞作品の発表

第25回 「香・大賞」

金賞
『 天使とユーカリ 』
三浦 夢斗
  • 24歳
  • 会社員
  • 東京都

 幼い頃、喘息を患っていた僕は、よく入院をしていた。小学1年生の夏、軽度の肺炎を併発して入院した僕は、隣のベッドの同い年の女の子と仲良くなった。一緒にお菓子を食べたり、遊戯室に行ったり、塗り絵やおままごとをしたり、気づけば同じベッドで寝ていたり、子供なので病人だという自覚もなく、とにかくずっと一緒に遊んで笑っていた。心臓病で入院していた彼女の枕元には、いつも赤いランドセルが置いてあったのを憶えている。新品のランドセルだった。
「学校って楽しい?」
 そう訊いた彼女に、僕はどう答えたのだろう。今は忘れてしまった。
 僕はユーカリの木片が入った小瓶を持っていた。ユーカリの匂いは呼吸を楽にする効用があるらしい。細かく刻んだユーカリの木片に、ユーカリエキスを滴らすと、つよい香りが立ち昇る。彼女と布団にもぐって、その香りを楽しんでいたとき、咳が出た拍子に、僕は小瓶をひっくり返してしまった。喘息の発作がはじまったのだ。彼女がナースコールを押した。吸入器をくわえる僕の背中を、ずっと彼女がさすってくれた。こういうことは親だけがするものだと思っていた。 ユーカリが香る。その日は不思議とすぐに発作はおさまった。
 僕の点滴もとれて、そろそろ退院という頃、夜寝ていると隣が妙に騒がしかった。その喧騒はすぐに静まった。翌朝目を覚ますと、隣のベッドには誰もいなかった。真っ白なシーツ、机の上の鮮やかな花、それらが大窓から射し込む朝日に照らされていた。何か厳粛な空気が張りつめていた。
「天使になったのよ」
 彼女の所在を尋ねた僕に母が言った。

 現在、喘息はほとんど治っている。なぜ「ほとんど」かというと、年に一、二度は発作が起こるからだ。季節は決まって夏。症状は重く、薬を試しても効果はない。だが不思議なことに、誰かに背中をさすってもらいながら、ユーカリの匂いをかぐと、ものの30分ほどで症状は消える。医師は首をかしげるばかりだ。