入賞作品の発表

第36回 「香・大賞」

銅賞
『 ナンバーワン 』
きらら
  • 45歳
  • 自営業
  • 香川県

 「お父さん、くさい」
幼かった私たち姉弟が言うと、父は血相を変えて私たちを鋭い目で見つめ返した。
「何を言う? おまえたちはこの匂いで飯を食ってるんだ」と。そんな風に言うときの父が私は苦手だった。
 父は石屋だ。生まれ育った家は町一番の貧乏で、中学を卒業すると祖父の後を継いで働き始めた。石粉をかぶり、泥にまみれ、汗水たらして働く父からはいつも微かに「どぶ」の匂いがした。そんな匂いが気になりながらも「おかえり」と、弟と2人、帰宅した父にまとわりついていた。
 時代は変わり、機械化、IT化が進んだが父はそれらを受けいれず、76歳になった今も昔ながらの肉体労働を貫いている。
 そんな父も孫たちに囲まれると、目尻を下げ穏やかな顔を見せるようになった。
 ある日のこと。5歳の姪が言った。
「おじいちゃん、なんか、くさい」
 昔の記憶がよぎり、嫌な予感がした。父は一瞬、表情を強張らせたように見えた。
 心の中では、孫娘には強くあたらないだろうという思いと、早く父と姪を引き離さなければ、という思いがせめぎ合っていた。
 弟が低い声で姪に「おじいちゃんに謝ろう」と言うと、姪は目を丸くして「なんで?」と尋ねている。そのとき、母が口を開いた。
「おじいちゃんのこの匂いはね、一生懸命にお仕事した人だけが持つ匂いなのよ。おうちにアロマあるでしょう?」
 姪は大きく頷き、ラベンダー、ミント、カモミールと、知っている香りを得意げに披露した。
「おじいちゃんの匂いのお名前は?」
「ナンバーワン」即答したのはやはり母だった。瞬間、張り詰めた空気がゆるみ、姪の顔に笑顔が広がった。安堵と喜びが入り混じったようなあのときの父の表情を、私は一生忘れることはないだろう。