入賞作品の発表

第32回 「香・大賞」

銅賞
『 豚骨ラーメンから遠く離れて 』
吉開 章浩(よしがい あきひろ)
  • 42歳
  • 介護支援専門員
  • 香川県

 香る川と書くこの県に移って来て、7年になる。うどんが名物だが、うどんなんて好きでも嫌いでもない。なんというか、薄い存在。ここに来る前は福岡県に住んでいたので、豚骨ラーメンをいつも食べていた。ああ、あのどぎつい香りがたまらない。無性に食べたい。でもうどんを食べたいと思うことなどない。
 福岡県で、顔も身体も丸っこい、やさしい香りのする女性と出会い、結婚した。子供が1歳の時、妻の故郷であるこの県に移住した。迷いに迷った末の決断だった。そして今でも、ふわふわした感じ。地に足が着いてない感じ。なぜ自分は、生まれ育った土地を離れてこんな所にいるんだろうとふと思ってしまう。
 こっちで唯一の親友である妻は、明るく、大声で笑う人だ。そしてにおいに敏感だ。40歳を過ぎると、自分では分からないが加齢臭というものがあるらしく、妻はそれをたいそう喜ぶ。おじさんが好きなのだそうだ。足のにおいなども大好物である。くさいからやめてと抗議するが、妻は、絶対嫌いにならないから、むしろもっと好きになるからと懇願し、鼻先を押し付けてくんくんとやり、アーハッハッ、やばーい、と歓喜の声を上げる。そんな時、この人と一緒になってよかったなと心から思う。
 福岡県生まれの小学2年生になる息子は、学校の自由研究で、ぼくのまくらはどうしてとんこつのにおいがするのか、の研究をすると意気込んでいる。それはそれは強烈なにおいなのである。こっちで生まれて6歳になった娘は、やはり丸っこく、やさしい花の香りがする。この人たちに守られて、いろんな香りに包まれて、自分はここでゆるゆるとずっと漂ってゆこう。近所に美味い豚骨ラーメン屋も見付けた。
 かっこいいおじさんになってね、と妻はよく言う。迷いや不安や違和感というのは、きっと人生のスパイスになって、人を円熟させてくれる気がする。