22歳の春、私は新卒で入った会社をわずか2か月で休職した。入社後の健康診断で「結核」であることが判明したのだ。
目の前が真っ暗になった。結核といえば、昔の文豪たちの命を奪った、血を吐いて死ぬ病というイメージしかなかった。自分があたら若い命を散らすかもしれないのは怖い。だが私は同じぐらい、就職氷河期まっ只中で、卒業間近に唯一内定をくれた会社を、病が理由でクビになるのが怖かった。
とりあえず3か月休職することになり、投薬治療が始まった。幸い薬が良く効いて、当初レントゲン写真で真っ白だった私の肺は、みるみるうちに綺麗になっていき、無事に予定通り、復職できる運びとなった。
秋になって、私は恐る恐る会社に戻った。一緒に入社した同期はもう、バリバリ仕事をこなし、立派に会社の戦力となっている。私だけがまだ「春」に取り残されていた。右も左もわからない新人のまま、皆の足をひっぱり、オロオロする日々は辛かった。
復職後も月に2度通院した。私はすっかり顔なじみとなった医師に、仕事で同期に後れをとったことをグチった。てっきり、命が助かったことに比べれば些末なことだと、一笑に付されるとばかり思っていたが、父親ぐらいの年齢の医師は、少し考えたあとに言った。
「そんな時はね、花を買って帰るといいよ」
真面目な患者である私は、その日初めて自分のために花を買った。一人暮らしの貧しい部屋に、真っ赤な一輪の薔薇を飾ったのだ。紅茶に似た甘い香りは、私の体中の血管を巡り、薬のようによく効いた。心に煙る白い霧を、スッと晴らしてくれるようだった。
医師の処方が、石川啄木の短歌「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ」から引用した機知に富んだものであったことに、愚鈍な私が気づいたのは、だいぶたって、通院も薬もいらなくなり、仕事にもようやく慣れたころだった。