入賞作品の発表

第41回 「香・大賞」

佳作
『 聞こえない私と、聞こえるような香り 』
越菜(えっさい)

 香りは、私にとっていつも身近にあるのに、はっきり捉えられる日とそうでない日がある。
 私は聴覚障害があり、小学生の時聾学校に通っていた。ある日、階段に落ちていたハンカチを拾い上げた時、ふっと柔らかい香りがした。同級生が「この匂い、あの子のものじゃない?」と言い、私もその匂いに覚えがあった。持ち主を伝えると、担任の先生は「本当に分かったの?」と驚いていた。そのことがきっかけで、クラスでは「耳が聞こえない分、匂いに気付きやすいかも」という話題が出た。当時の私はどこか納得していた。私自身も、香りが「何かを知らせてくれるサイン」のように感じられることがあり、それが音の代わりになる瞬間があるように思えたのだ。
 けれども、中学生になってその考えが大きく揺さぶられた。理科の実験で硫化鉄を加熱すると強い匂いが出ると言われていたのに、私も、周りの聾の同級生も全く匂いを感じなかった。鼻を押さえていたのは理科の先生だけで、私達はただ戸惑うばかりだった。後になって調べてみると「聴覚がないと嗅覚が敏感になる」という仕組みはないことを知った。ただ、聞こえない分、視覚などに注意を向けやすくなることはあるらしい。だから、あのハンカチの香りも、嗅覚が特別だったわけではなく、偶々覚えていた匂いに気付いただけだったと思う。
 それでも、大学生になった今も分かる匂いがある。雨の匂いだ。空気が湿り、風の重さが変わると「そろそろ降りそうだ」と感じる。これは障害とは関係なく、ただ私がそういう変化を拾いやすいだけなのだろう。雨が降る前の空気の匂いは、音より先に状況を伝えてくれる「聞こえるような香り」として、今でも私の生活に溶け込んでいる。
 香りを強く感じる日もあれば、よく分からない日もある。自分の感覚は状況によって揺れ動くし、得意な部分とそうでない部分が混ざり合っている。特別な力でも弱点でもなく、生活の中でふと何かを知らせてくれることがある。私にとって香りとは、そのくらい自然な距離で寄り添っているものだ。