私がまだ幼い頃。年に数度、父に連れられ、一人暮らしの祖父の家に行くことがあった。
行くたびに祖父はチョコをくれた。それはいつも同じメーカーの同じチョコであったが、実は私は、そのチョコが苦手であった。祖父がくれるのであるし、父の手前もある。苦手などとは言えるはずもなく、私はいつも「ありがとう」と言って貰っていた。
私がそれを苦手な理由は、その匂いにあった。そのチョコは、口に入れる直前、鼻を突くようなツンとした刺激臭があったのだ。
少し我慢し口に入れてさえしまえば、いずれ甘い香りが勝つのだが、口に入れるまでがどうにも苦手であった。私は、これは大人向けのチョコなのだと理解していた。
その後、私はどうにか成人し、家庭を持ち、子宝にも恵まれた。祖父も父も、とうにこの世の人ではなかった。
ある日のこと。妻が子供たちと買い物から帰って来て、テーブルにレジ袋の中身を拡げたら、そこに懐かしいあのチョコがあった。
小学校に入ったばかりの息子が、すぐに封を開け、噛り付いた。
「それ、きつい匂いするだろ。大丈夫か?」
「匂い? しないよ。美味しいよ」
私は、息子の言葉を不思議に思い、1粒もらった。甘く美味しいチョコであった。そこには、あの苦手な匂いなど、全くなかった。
私は実家に帰った折、この話を母にした。
「それは樟脳やね。おじいちゃんは、何でも箪笥に仕舞もうてたから」
そう言うと、母は、和ダンス用の樟脳を取り出してきた。鼻を寄せて見ると、それは正しく、あのツンとする匂いであった。あの刺激臭は、単に樟脳の匂い移りだったのだ。
母と私は、幼い私の誤解を笑った。
ひとしきり笑った後、私は、周囲に気を遣い過ぎた幼い日の私を思い、貧しくも幸せだったあの時代の私自身を、とても愛しく懐かしんだ。