入賞作品の発表

第39回 「香・大賞」

奨励賞
『 祇園の夜 』
さなちゃん
  • 25歳
  • 大学院生
  • 京都府

 4年前、20歳だった私は大学の先輩に誘われ、祇園で黒服として働き始めた。シックな雰囲気の15畳程の店内は独特な匂いがした。ホステスが銘々に纏う香水、タバコ、空のグラスに残るシャンパンの酸味やワインの渋み。その全てが不均一に充満し、店の匂いを構成していた。
 その匂いに親しみさえ覚えた頃、私は1人のホステスと親しくなった。2歳年上の彼女もまた大学生だった。場の空気を読み頭の回転のはやい彼女はどの席でも重宝された。よく喋るくせに自分の話はあまりしない人だった。複雑な匂いの店内で、私はムスクの動物的な香りのする彼女の香水だけ嗅ぎ分けられるようになっていた。
 最後の客を見送り、店を閉めたある夜、私は彼女を送ることになった。道中、1杯だけ飲もうと私たちは繁華街へ向かった。真冬の風が吹く四条大橋の上で、私の腕にしがみついた彼女は唐突に
「さなちゃんは私みたいな汚れた女と付き合ったらあかんで」
と言った。クサい台詞だと思った。挑発とも牽制ともとれる言葉を私は聞き流した。適当な話をしながら飲んだ帰り際、彼女は、手貸して、と悪戯な表情で私の手を取り、自分の香水を振りかけながら
「私のこと忘れんようにしたるわ」
と言った。クサい台詞だと思った。
 卒業試験を控えた彼女は、程なくして店を辞めた。春になり彼女は上京し、コロナ禍で私も店を辞めた。彼女と同じ香水を買ってみたが、何か違った。体臭と混ざることで同じ香水でも人によって香り方が微妙に異なるということは後で知った。
 偽物の香りを纏いながら、私は今も京都に住んでいる。祇園町に足を踏み入れることはなくなったが、四条大橋はよく渡る。