私が実家を訪れると、姉はいつも紅茶を淹れてくれる。
来客に慣れていない姉と父は私が来るとバタバタする。やれ湯をわかせ、菓子はどうしたと毎度バタつくので、実家だというのに何となく居心地が悪い。
ティーなんとかという道具を使って、砂時計をひっくり返して汗をかきかき淹れる姉の紅茶は、その労力と一生けんめいさの割にいつも渋く、苦かった。「どう?」と聞いてくるので、おいしいよと返す。両手をあわせ「良かったぁ」と心からほっとした顔で笑う。父はそれを満足そうに眺める。そこまでがワンセットなのだ。
体の弱い姉は一連のバタバタですぐに疲れてしまうので早めにお暇する。短い訪問。
土産にとティーバッグを渡される。3人の子育て中の働くハハには優雅にお茶を淹れて飲むヒマなんて無い。毎回受け取ってしまうそれは、台所に溜まり続けていた。
ペットボトルの紅茶は美味しい。渋くなんかないし、何より気楽なのが良い。
なのにどうしてか、紅茶の香りをかぐ毎、姉の顔がうかんでしまう。あの不器用な姉のどちらかというと美味しくはなくて、でも手まひまと気もちだけはたっぷりと入った苦い味と、不器用な笑顔が。あの紅茶は苦いけれども、香りだけはとびきり良いのだ。あの人は病弱なくせに、私みたいな意地悪な妹の為にいつも上等な茶葉を買いに出かけてゆく。
働く事も思いきり好きな事もできない姉は私や姪っ子達が喜ぶ姿だけが生きがいなのだそうだ。凪いだ池の様な彼女の生に、その時だけは小さなあかりが灯るのかもしれない。
紅茶の香りがする。ペットボトルを冷蔵庫に投げこんで、携帯を手に取り今から行くねと短く告げ通話を切る。今頃きっとまたバタバタとヤカンを火にかけているのだろう。私は自転車に乗って、渋くて、きれいで、苦い姉の紅茶に会いに行く。