入賞作品の発表

第39回 「香・大賞」

審査員特別賞
『 ココナッツ・エンジェル 』
和田 祐子(わだ ゆうこ)
  • 52歳
  • 主婦
  • 滋賀県

 月に1度の東京への通院。医者に余命宣告された私は、悲壮な気持ちでタクシー乗り場に行った。タクシー待ちらしいおじさんがひとりいた。
 配車係の人が私に声をかけてきた。
「タクシーをご利用ですか?」
私が頷くと、配車係の人は重ねて聞いてきた。
「お好みのタクシーはございますか?」
お好みのタクシーとは何を聞かれてるんだろう? 東京では当たり前の質問なのだろうか?
「特にないです」
私は答えた。
 すると配車係の人が、少し離れたところに停まっていた白い車に合図をした。その車には私も気づいていたが、実はタクシーだと思っていなかった。最近主流のハッチバックの形より少し大きな車体だったから。目の前まで来ると、個人タクシーと書いてあった。
 後ろのスライドドアが開くと、すごいココナッツの匂いが流れ出してきた。なるほど、前に並んでいたおじさんはこれに乗るのが嫌だったんだな。今さら後には引けず、ちょっと車高の高いその車に乗った。ココナッツの芳香剤でクラクラする。東京駅にと告げると、運転手さんは愛想よく返事をしてくれた。
 そこから東京駅まで、なかなかスリリングな時間だった。車の間を巧みにすり抜け加速を繰り返す。揺れをまったく感じさせない、滑るような運転テクニック。これは昔、走り屋だったかもしれないと思った。そういえば内装にもそういう名残を感じるし、ココナッツの香りはヤン車で好まれていた。極めつけはお釣りを渡してくれた人差し指に光るごっついシルバーリング。
 車外に出てむせ返るココナッツの香りから解放された瞬間、私は大笑いしてしまった。病院を出たときの暗い気持ちが、すっかり晴れていたのだ。ココナッツのオッチャンはごっついシルバーリングの手で天使のように私の心を救ってくれた。
 帰りの新幹線でも、脱いだコートからココナッツの香りが鼻をかすめるたびに笑いが込み上げてきた。
 あれはやっぱりココナッツエンジェルだったんだ。そんな愉快な気持ちで私は地元に帰った。