食卓の百合の香りを覚えている。
我が家の食卓テーブルの中心には、いつも1輪の花があった。華奢なガラスの花瓶に生けられた花は、部屋を明るくしてくれているようだった。
見た目にも美しいが、花というのは香りでも空間を彩ってくれる。私は生けられた花が変わるたびに顔を寄せ、その香りを楽しんでいた。
ある日、夕食の時間にいつものように椅子に座ると、何か強い匂いが私の鼻に届いた。
甘いような、化粧品のようなそれは、テーブルの真ん中にある百合の香りだった。
こんなにも強い香りの花があるとは知らなかった。寄らずとも感じることのできる匂い、他の花よりも大ぶりな花びら。幼い私はそれだけで、この花は高級なものに違いない、と思った。
その頃の私たちは、母1人子1人の生活だった。パートをいくつも掛け持ちしていた母にとって、花を買うこと自体高い買い物だったに違いないと今になって思う。それでも毎週のように花を買って食卓を飾ることは、母が貧しい生活の中に見出した、数少ない贅沢だったのだろう。
それなのに、母は百合を見て少し残念そうな顔をした。
「ご飯を食べるところには、ちょっと似合わないかもね」
確かに堂々たる百合は、2人用の小さいダイニングテーブルには大きすぎた。そして、その日の夕飯のカレーの匂いと百合の香りは別々に鼻腔を刺激して、調和がとれていなかった。
それでも、私は百合の花に魅了されていた。眉を下げた母になんと返事をしたのかは覚えていないが、私はカレーを1口食べては百合の方に顔を向け、息を大きく吸うことを繰り返していた。普段のカレーと同じ味なのに、百合の香りを嗅ぐとレストランで食べているような、子供ながらに非日常を感じて楽しかったからだ。
母もそんな私の様子が可笑しかったのか、悲しそうな表情が消えて口を大きく開けて笑っていた。
その後も母は様々な花を買ってきた。けれど私は、百合の花を一番覚えている。