入賞作品の発表

第39回 「香・大賞」

佳作
『 花と鼻 』
髙田 智子(たかた ともこ)
  • 38歳
  • 滋賀県

「花と鼻は、どうして同じハナなの」
 幼い娘に聞かれ、面食らった。
「花の匂いをかぐとき、鼻を近づけるでしょ」
こんな苦し紛れの答えで納得してくれただろうか。学生時代、同音異義語には本来一語だったものから派生したものがあると習った。花と鼻がそれに当てはまるかは分からないが、もしそうだったらいいなと思った。和歌にも花の香りを歌ったものはたくさんある。昔の人はもっと頻繁に花と鼻を近づけていたのかもしれない。今は、駅の生け花もガラスケースの中に入っていたりで、そういう機会が減っている。
 私が好きな花の香りは沈丁花だ。お手洗いを思い起こすから苦手だという人もいるが、お手洗いでかごうが庭園でかごうが構わない。あの酸味の効いたシャープな香りが鼻をくすぐれば、反射的に、春、と声に出してしまう。
 沈丁花の香りとともに思い出すのは、幼馴染のことだ。彼女は5歳のとき高熱を出し、後天的に視力を失った。学校へは私と手をつないで通ったが、彼女は沈丁花のそばを通り過ぎると必ずそれを指摘した。面白いのは、彼女がそれに気づくタイミングで、花の手前ではなく、決まって、行き過ぎてしばらくたった後、思い出したようにそれを言うことだった。その後私も意識してみると、確かに残り香が後にひいているような気もする。私は先に視覚で花を捉えたあとに香りをかいでいたから、手前から匂っている気になっていただけかもしれない。
 目が見えない分、嗅覚が鋭いと言われるのを、彼女は嫌っていた。勝手にそうなったのではなく、意識して匂いをかぎ分ける訓練をしてきたのだ、と。彼女は沈丁花の香りを「美しい香り」と言った。香りに対して「美しい」という形容詞をつけるのはあまり聞いたことがない。「美しい」は目に見えるものに使うことが多いが、彼女はきっと心の目で見ていたのだろう。