私を前にして、にこにこと「どちら様かしら?」と問う母の小さい手は、真っ白で、細くて、品があります。私と姉が小さい頃は、この手でプリンやらコロッケやら、はたまた娘達のためにワンピースやコートなど魔法のように生み出してくれました。母は、研究で会社に寝泊まりをしていた夫の留守を、2人の娘の子育てと洋裁と庭の木々の丹精をすることで守っていました。庭には、芝が根付き、春先には、ピンク色の沈丁花香、初夏には赤いバラ、秋には黄色の金木犀が咲き誇り、数軒離れたご近所からもそれぞれ異なる甘い香りを放っていて、私は登下校の友達に「良い香りでしょ」と自慢していました。母は、こまめに油虫や毛虫をピンセットで取って「お父さんが帰ってくると、いつも良い香りがするね。と言ってくれるの」と丁寧に花木の手入れをしていました。その父に愛人ができ、男の子が生まれていたと聞くと、母は「男の子には父親が必要でしょ。貴女たちはもう十分教育を受けたから、お母さんは離婚します」と父と戦うつもりでいたきかん気の強い18歳の私を説き伏せ、潔く離婚を決めましたが、母がさめざめと1年間、自室で泣いていたのを知っています。その父が95歳で亡くなったと、先日、父の会社の跡を継いだ40歳過ぎた義弟から連絡がありました。母に父の訃報を伝えたところ「まあ、お父様を亡くされたの? お力落としのないように」と私を気遣ってくれました。私は継ぐ言葉を失い、ポットからジャスミンティをコップに注ぎ「良かったら」と母に差し出しました。「まあ、ジャスミンね」と母はその香りを楽しんで、ほっこりと笑ってくれました。母から辛くて哀しい記憶を奪い、まだ香りを楽しむ五感機能を残してくれたのは愛情深くて優しい母への神様のお計らいかと思います。私が独りで働いて建てた小さな家の狭い庭にも、母の記憶を紡ぐために、沈丁花と金木犀を植えました。