元旦の新聞配達は辛い。新聞は分厚く広告も大量で、通常の日の3倍以上は時間も労力もかかる。中学2年の私は重労働にグッタリして店に帰り着く。店主が待っていて予期せぬお年玉が特別に手渡された。1,000円だ。朝夕刊の配達で3,000円の給与だ。大金に驚いた。店主の顔が途端に、大福様に見えた。
今日こそあんパンを食べてみたい! その1,000円を手にして新聞店の近くのパン屋に駆け込んだ。お伽の国のような店内は甘い香りで溢れている。生唾が出た。陳列ケースで目にするだけで、口にしたこともない憧れの夢の味。
「あんパン10個下さい!」
鼓動が破裂する気がした。1個が10円、10個で100円。高価過ぎた。手が震えた。贅沢さに私はおじけづき、12個の注文ができなかった。でも、包みから溢れる至福の香りに満足し、踊るようにして家に持ち帰った。
元旦の食卓は簡素だった。このことは以前から母に聞かされていた。麦飯はこの日だけ白米に変わり、6人分の餅のない雑煮が添えてあった。この正月膳に呆れ果て、新年の福の神は来訪を中止した。父に定職はなかった。
隠して持ち帰ったあんパンを食卓に並べた。皆が息を潜める。甘い香りが漂う。2つずつ配り、6人で12個必要。私の分はない。無性に食べたかった。それを見た母は1つをそっと私の所に置いた。返そうとすると眼で制した。微笑の奥に涙を隠した顔だった。
下3人の兄弟は夢中でかぶりついた。父は無言。私はこの時とばかりに
「これがあんパンという
お菓子だよ!」
と偉そうに言い放った。母は時折、赤く滲んだ眼を、後ろ姿でそっとぬぐっていた。世界で一番美味しい
お菓子に興奮し、初めて口にした元旦の日。
母は「あの正月は忘れる事ができません」と何度も手紙に書き綴った。今では母も家族も亡い。あの時のあんパン以上の香りと味とに出会う日は、果たしていつの日だろうか。