入賞作品の発表

第38回 「香・大賞」

佳作
『 ババちゃんの部屋 』
三浦 水際(みうら みぎわ)
  • 31歳
  • 東京都

 ババちゃんの部屋はいつも不思議な匂いがした。押入れの中のような、着古した服のような、どこか懐かしい匂い。ババちゃんとは曾祖母のことだ。当時、家には祖母も同居していて曾祖母の事はババちゃん、祖母の事はおばあと呼んで区別していた。ある日私は、ババちゃんの部屋の匂いについておばあに聞いてみた事があった。すると、おばあは
「ああ、おしっこの匂いだべ? ほんとにだらしねえ……」
と言う。幼い私はショックを受けた。私はその匂いの事が嫌いではなかったからだ。
 両親が仕事で忙しかった事もあり、私にはババちゃんやおばあとの思い出が多い。ババちゃんはいつも優しかった。咲いたばかりの花のような柔らかい表情で笑う人だった。しかし、どうしてかおばあに対しては、時折挑発するような意地の悪さを垣間見せることがあった。おばあも優しい人だが、気が強く感情が先走るようなところがあって、口論がはじまると毎回おばあがババちゃんを一方的に罵倒するような構図になった。あとから聞いた話では、幼少期のおばあはババちゃんからとても厳しく躾けられたらしく、おばあの中には積年の思いがあったのではないかと思う。
 ある日の口喧嘩のあとで、ババちゃんの部屋に行きふたりで遊んでいた。悲し気な表情を見せまいと頑張るババちゃんをみて、なぜか私の方が泣いてしまった事があった。当時の私にはどちらが悪いというのもなくて、ただババちゃんが可哀そうで堪らなくなったのだ。私を撫でるババちゃんの手。その部屋はやっぱりとても落ち着く匂いがしたなと思う。
 ババちゃんが他界したのは3年前だ。葬儀のあと、久しぶりに帰省した私は、家族が誰も見ていない隙を見計らって、かつてのババちゃんの部屋に忍び込んでみた。あの頃と同じ匂いがした気がする。色々なものが入り混じった複雑な匂い。その部屋は、今は80歳を過ぎたおばあが寝起きするのに使っている。その匂いは今でも嫌いではなかった。