入賞作品の発表

第38回 「香・大賞」

佳作
『 私の宝物 』
後藤 里奈(ごとう りな)
  • 34歳
  • 教諭
  • 東京都

 「寂しくなったら開けてみてね」
 入院中の私を見舞いに来てくれた3歳の娘が、そう言って私に1本のペットボトルを手渡してくれた。中身は空だった。娘は、きょとんとする私の反応を見て嬉しそうに笑うと
「また明日ね!」
と言って帰っていった。
 改めてそのペットボトルを見てみると、表面には覚えたばかりの字で「ゆり」と書いてあり、マジックでカラフルなゆりの絵が描かれている。花瓶のつもりなのだろうか……。でも娘は、寂しくなったら開けるようにと言っていた。確かにキャップは固く閉められている。謎が残るまま翌日、娘にどういう意味なのか尋ねると
「まだ内緒!」
と言ってまた新たなペットボトルをくれた。今度はなぜか「おこのみやき」と書かれており、表面にはお好みソースのパッケージが貼り付けられていた。
 その夜、私はついに気になってそのペットボトルを開けてみた。相変わらず中身は空だが、キャップを開けた瞬間、ふわっとソースの香ばしい香りがしたような気がした。そして私は数日前、娘と夫が2人でお好み焼を作って食べたと言っていたのを思い出した。きっとこれは、一緒に食べられない私のために届けてくれた、香りのお裾分けなのだろう。私はボトルの中の空気を再び胸いっぱい吸い込んだ。すると自然と涙が湓れ「早く元気にならなければ」と強く思った。
 それから、娘が見舞いに来てくれる度にペットボトルは増えていき、シャンプー、入浴剤、ホットケーキなど、様々な香りが詰まった色とりどりのボトルが病室を彩り、辛い闘病生活を乗り越える支えとなった。
 あれから5年――。幸い病気は無事に完治した。あの時のペットボトルのキャップはすべて開けてしまったが、娘の想いは今も変わらずそこにある。落ち込んだ時や心が折れそうになった時、癒しと元気をくれる魔法のボトルは、私の宝物だ。