入賞作品の発表

第38回 「香・大賞」

佳作
『 青き香り 』
増山 真紀(ますやま まき)
  • 45歳
  • 主婦
  • 栃木県

 あれ、豆茹でてんの? 息子が部屋から出てきた。あら、さすが鼻が利くねと感心する。
 買ってきたばかりの枝豆をたっぷりの湯で茹でていた。くつくつと煮立つ気泡の中で2つ3つ、鞘がぱくりと口を開ける。豆の香りを纏った湯気が部屋中に満ちていく。
 思春期に入りかけの息子は、昔から枝豆が大好きだ。ふてくされて部屋にこもっているときでも、茹で上がりの香りの誘いには弱い。むすっと部屋から出てきては、山のように自分の皿に盛り、黙々と豆を口へはじく。枝豆の山は次第にカラになった鞘の山へと移り、彼は微かに表情を緩ませ、また部屋に戻っていく。
 息子が幼い頃、里帰りするとよく一緒に父の畑へ行った。父は夏休みに来る孫のために畑を丹念に耕し整え、いろんな夏野菜を実らせて待っていた。私も子どもの頃はよくこの畑で過ごしたなと昔を思い出しながら、泥んこになって息子と土を掘り返す。ゴロゴロと埋まっているじゃがいもを宝のように見つけ出す孫の様子に、父の目尻も下がる。加えてオクラやトマト、ナスにキュウリと、夏野菜が大収穫だ。父も大好きな枝豆は十分すぎるほど植えてあり、どれもぷっくら実っている。根っこごと、ごっそり何本か抜いて畑小屋に集めると、私たちはそこに腰掛けて「きっと美味しいよ、この豆」などと話しながら実った豆を枝から外すのだった。
 いつの間にか私に背丈が近づいた息子が、すぐ横で皿を持ち待機していた。茹であがった枝豆をシンクのざるにあげると、湯気が一気に白く舞い上がる。夢中で枝豆を食べる様子は小さな頃から変わらないな、と側で横顔を眺めた。
 父はもう80になる。遠く離れた父を思う時間は増えるばかりだ。いつまでもあの畑で元気に鍬をふるう父でいてほしいと、只々思うのは私のわがままでしかない。
 数日後、父から畑の枝豆が届いた。40歳もとうに過ぎたのに、父の枝豆を見るだけで私は幼子に戻る。生の豆は、鼻を寄せるとひんやり青々しく香った。