入賞作品の発表

第38回 「香・大賞」

佳作
『 バライタ印画紙の香り 』
村上 令一(むらかみ れいいち)
  • 64歳
  • フォトグラファー
  • 神奈川県

 父とはあまり折り合いが良くなかった、というより、悪かったというべきだったか。
 写真館を営んでいて、カラー写真は正しい色が出ないと言って、私的な写真はすべて白黒写真だった。確かに昭和40年代頃のカラー写真は色に片寄りがあり、変色もしやすい嫌いがあった。それにしても偏屈というのか、同じ理由から、たとえばテレビに至っては私が高校に入るくらいまで白黒だった。
「恥ずかしくて、友だちをうちに呼べない」
と呟き、姉が涙ぐんでいたのをよく覚えている。
 母が店番をしていた店を私が手伝うようになっても、プリントの色がよくないと現像所と喧嘩したり、お客の前で母を叱責するわで、うんざりさせられることが多かった。
 当時使っていた白黒用の印画紙はバライタ印画紙と呼ばれていて、カラー用の印画紙のように合成樹脂のベース面がなくて、仕上げるときには乾燥機をくぐらせなければならなかった。その乾燥機をあがる際、からからに乾いたバライタ印画紙は独特の香りを放つ。その日なたに干した木綿のような香りは店に始終満ちていて、私はその香りの中で宿題をし、プラモデルを作り、大人に成り果てた。
 2年前、そんな父を膵臓ガンで亡くし、四十九日を迎えた日、遺品を整理していたら大きなタッパーがあった。日記でも入っているのかなと蓋を開けたら、むんとバライタ印画紙の香りが溢れた。そこには私と姉の幼い頃の白黒のスナップが詰まっていた。ドリームランドの賑わい、観音崎のゴジラの滑り台、走水での海水浴。懐かしい記憶が蘇り、恥ずかしいような申し訳ないような思いにかられた。変色は一切していなかった。あらためて私は胸の内で礼を告げ、涙を拭い、バライタ印画紙の香りの詰まったタッパーを抱きしめたのだった。