大阪梅田の駅に降り立った私は、洞窟から出てきた原始人のように、あまりの明るさに目をしばたたいた。煌々と照らされるライトの下で、人々は普段どおり、慌ただしく街を行き交っている。複雑な気持ちになる。電車で30分の神戸は、電気もガスも水道もなく、暗闇の中、倒壊した家々や瓦礫の山が、さながら化石のように佇んでいるというのに。
1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生した。地の底から激しく突き上げるような揺れが襲い、外では轟音が鳴り響いている。「もはやこれまでか」と思った。暗闇の中、床に落ちた電灯や倒れた本棚につまずきながら、何とか玄関に辿り着く。外へ出て、日が明けてくると、目の前の風景が一変していた。蛙が車に轢かれたように押し潰された家々。マンションはだるま落としのように、1階から3階までが圧縮され、低くなっていた。家の東の壁には、倒れた隣家の屋根が突き刺さっている。
梅田でリュックを背負った出で立ちは、被災地から買い出しにきた被災者だと一目でわかる。私は、持てるだけの荷物をぶら下げ、再び駅へ向かおうと地下街を歩いていると、どこからか揚げたてのコロッケの匂いが漂ってくる。デパ地下で売っているあのビーフコロッケに違いない。誘われるように店へ足が向きかけたが、ハタと思い止まる。これからの長い帰り道を考えた。森閑とした電車やピストンバス、懐中電灯を照らしながら歩く道すがら、ホクホクのコロッケの匂いをまき散らす私を、周りの人はどう感じるだろう。何だか申し訳ない気がした。
あれから27年以上が経過し、再整備された神戸の街を見た東京の友人は「本当にここが被災地だったのか」と言う。表面的にはそうかもしれない。だが、私達は今も忘れえぬ傷を背負っている。時々、近所の肉屋さんで、揚げたてのビーフコロッケを買う。その懐かしい匂いに包まれながら、小さな幸せと感謝を一緒に嚙みしめている。