夕方、4時30分になった。5才の長女に2人の娘を遊ばせているので気になる。でもとにかく夕飯の準備にとりかかった。
「こりゃぬるいバイ。もう1回温めない」
不服そうな顔した義父が、私の背中に突き刺す様な目つき。
「あっ、スミマセン、もっとヤカンにつけとけばよかったけどネ」
義父の機嫌を損(そこ)ねない様にと、優しく、にこやかに、答えて、ヤカンをもう一度わかす。
「ときにゃ、お酌ぐらいしない。ア、ア」
横にすわると、テーブルが揺れんばかりに、大きな声で威嚇(いかく)する。"ヤバイナ"と、ヒヤリとしたら
「只今」
3人娘が汚れて帰って来た。
「ワァ、お帰り、どこで遊んでたネ、じぃちゃんにも、ただいま、言って」
子供達はキャキャ、さわぎたてる。
「おら、子供はスカン、うるさか」
途端に、空気がしーんとなる。そして、その夜は、義父はチビチビ飲んで、10じ近く迄ヂクヂクと小言を言う。こういう生活が続いた。夫は、残業とかで、毎晩顔を赤くして、遅くの帰宅。昼寝して義父は窓から庭(にわ)をみたいというので窓際に並べていた障子紙の書道を片づけてたら、義父が書をのぞき見した。
「オオ、よかナ。墨のにおいナ。いい字書いちょんナ。あんたの字ナ」
「育成会の催しがあるんでネ」
まるで仏様みたいに穏やかな目つきでみる義父にビックリ。
「乾(かわ)いたから、よけるから」
と言うと
「そのまゝしちょさない。よかナ。この墨の匂いは」
「いいですネ、私も大好き、この匂いをかぐと、何だか清らかな心になるとですヨ」
義父も若い頃書道を習ったそうナ。それで、書は自信たっぷり。人間が変った様に、自分の生いたちから、失敗談を話すようになった。
夕方は、子供達が義父の口にストローで、ビールを飲ませる様になった。夫の帰宅迄、義父のベッドの横に寝そべり、談笑した。そして、義父は10年間一緒にくらして、手を合わせて、感謝してくれた。今義父の残してくれたスズリ箱を時たまながめる。そして、昔の長い墨を時たますってみる。――何もかも、清らかに思えてくる――。