入賞作品の発表

第29回 「香・大賞」

銅賞
『 すてきなドヤ顔 』
戸越 真澄(とごえ ますみ)
  • 48歳
  • 会社員
  • 福岡県

 「あなたのお父さん恐そう」
そうね、鉄工一筋40年以上、鉄工の達人らしく一見頑固で無口で恐そう。だけど実は優しく良くしゃべり良く笑いちょっぴりおちゃめな父だ。
 あれは私が学生の頃の冬のある日、さすがに試験前で勉強をしていたのだが、やはり寒い。温かい物を求めて何度も台所へ行っていたら、ついに父から
「それじゃあ集中できんやろう。俺が後から持って行ってやるから集中して勉強しろ」
と一言。静かに勉強をしていると、トン…トン…トン…と、階段を一段ずつ慎重に上がる足音。そしてドアを足で蹴りながら
「おい、開けてくれ」
と父の声。ドアを開けると
「えっ……」。
 父が両手でしっかりと持っているお盆の上に鎮座していたのは、温かい湯気とおいしそうな香りを漂わせたコーヒーがなみなみとつがれたラーメンの丼だった。親切にストローまで用意されている。
 父は「どけろ」と机の上の勉強道具を端に寄せさせると、机の真中にお盆ごと『季節のラーメン丼コーヒー。ストロー添え』を置いた。そして、今まで見た事が無いくらいに目をキラキラさせたドヤ顔で私の方を振り向き「頑張れ!」と言い残すと、トントントンとリズミカルな足音をたてて階段を下りて行った。一人残された私は寒さも忘れ、しばらくラーメン丼から目が離せなかった。
 お父さん、あなたのおかげで私は二つの事を知りました。一つ目は、熱い物はストローでは飲めない事。二つ目は、ラーメン丼のコーヒーは、もはやコーヒーではなくただの黒く苦い汁でしかない事。
 でもね、今まで辛い時苦しい時にコーヒーを飲むとなんとなく元気になれたのは、コーヒーの香りの向こうにお父さんのキラキラのドヤ顔と「頑張れ!」の一言を感じていたのかもしれない。お父さんありがとう。
 今度の休みの日、顔を見に行きます。