入賞作品の発表

第36回 「香・大賞」

銀賞
『 母の花 』
みぎわ せり
  • 69歳
  • 主婦
  • 京都府

 6月になると、庭の片隅に新生姜に似た紅色の芽が出揃う。数えたら100個はあるだろうか。名前はジンジャー、正式には花縮砂(はなしゅくしゃ)というらしい。梅雨時に背を伸ばし、細長い葉を茂らす。8月が終わる頃には花芽がひとつ、丈高い茎の先でふくらみ、辺りに清々しい香りが漂い始める。
 初秋になり、1番咲きの白い花を見つけるのは、いつも朝刊を取りに出る夫だ。切り取って、聖火を掲げるように誇らしげに食卓に運んでくる。
「わあ、母さんの花、咲いたんや!」
受け取り、胸いっぱい香りを吸いこむ。
 妙(たえ)なる香りというのか、目を閉じると浮かぶのは羽衣がたなびく光景だ。暑さにうんざりした体に新涼が染みていく。
 私はジンジャーを「母の花」と呼ぶ。
 母は持病の頭痛がはじまると、香りの強い花を庭で摘み、束ねた髪に挿したものだ。
「ジンジャーの香りは特効薬だわ」
と、花時が待ちきれないようすだった。
 私は頭痛を知らない。
「葉の緑色に染まない、花の白が好きだな」
花を挿した母をきれいと思いながら言う。
 ジンジャーは秋のうららかな陽ざしを浴びて、3、4本ずつ日課のように花開く。夫が焼いた陶器、娘たちが作った吹きガラスの一輪挿し、友人がくれた花差しなど、手持ちの花瓶がすべて出番となる。白い花はどんな花器にも似合い、活けた花をテーブルや出窓、階段、風呂場など家中に飾っておく。まずは丈高く挿し、枯れかかると水が上がるように短く切って最後の蕾まで咲かせる。
 コロナウイルスと酷暑の夏をどうにか越して、今年もジンジャーの花を愉しんでいる。その香りで4年前に亡くなった母を思い出すと、私が母の頭痛の種だったこともあるだろうと振り返るのだ。母と娘とは不思議なもの。亡くなってなお、いつまでも心の会話を続けている。