父は酒癖が悪い上に家庭内暴力も酷く、家は何かと荒れていた。私は幼い頃から父を毛嫌いし、言動だけでなく臭いまでも嫌悪した。酒臭さ、口臭、整髪料の混じりの脂っぽい体臭、所構わず放つオナラ。もちろん良い思い出などないが、ひとつだけ例外がある。
5年の冬、母がヘルニア手術の為入院し、父が私と兄の世話をすることになった。1週間以上だ。家のことは全て母任せの父とどんな生活になるのか、不安だらけだった。
入院初日。昼から出勤予定の父は、病院から戻ると台所にこもって作業を始めた。手伝いが嫌で私は庭に逃げていたが、父の呼び声に渋々台所へ戻った。
「親子丼作っといたぞ」
どんぶり……目を丸くしてのぞき込んだ鍋の中は、確かに黄色い卵色。間に鮮やかな青ネギが見え隠れしている。正真正銘、丼だ。
「ネギがなかったけんのぉ、困ったわい」
「ネギ? ちゃんと入っとるよ?」
「それは玉ねぎの芽ぇじゃ。ネギの代わりにしたんぞ。結構憎いことするじゃろが」威張った口調だが、父の顔は珍しく照れていた。
夕方、兄と2人で食べた丼は少し薄味だった。ねっとりとした玉ねぎの芽から、強烈で存在感のある香りが広がる。その青臭さが舌に残るのに、なぜかとても美味しかった。
その後母が退院するまで、何を食べたのか覚えていない。近所に住む祖母や叔母が作ってくれたのか、インスタントラーメンだったのか記憶にない。ただひとつ、あの丼だけがやたらと印象に残っている。
父は崩壊家族のラストイベント『離婚裁判』の真っ最中に、52歳で病死した。2年後に親になった私は、改めて父が親失格だったことを悟った。だが、懸命に丼を作った日の照れた笑顔は忘れない。あの瞬間だけは父の中に親としての愛情があったはずなのだ。
野菜かごの片隅で萎びた玉ねぎから伸びる青い芽。私の唯一の父の匂いだ。