入賞作品の発表

第21回 「香・大賞」

銅賞
『 江戸っ子の優しい嘘 』
田所 真千子
  • 46歳
  • 主婦
  • 埼玉県

 祖父に初めて会ったのは、私が3才になったばかりの夏である。
 祖父は東京の下町で温灸院を営んでいた。「薬師の灸」と記したキューピーの置看板が いらっしゃいませと手招きしている。赤い金太郎をつけたその後姿は、お尻丸出しで、背中に生えている羽が面白くて可愛い。私が背伸びすると、やっと同じ背丈。玄関を入ると、ぷーんと百草の匂いがした。
 さて、祖父は、自分の総領息子が、幼い私を連れた母と世帯をもちたいことに反対した挙句
「おめぇらが一緒になろうがなるめぇが俺には関りねぇ。だがな、この子を泣かすようなこたぁしたら、許さねぇ」
そう言って、私を抱き上げ
「おい、かあさん。いや今日からは、ばあさんだ。ばあさん、出かけてくらぁ」
 急に、ばあさんになった祖母は、慌てて火打ち石をカチン、カチン。祖父は、ステテコ姿のまま、私をギュッと抱き
「俺の孫だあ。いつから孫がいたかって、べらぼうめぇ、俺の可愛い孫なんだよ」
と町内をかけ回ったそうだ。17才の夏、そんないきさつを、両親から聞いた。そうだったのかあ。そういえば、その時の祖父のシャツにしみついた百草の匂いと、回り灯篭のように商店街の灯りが目に映る光景を、かすかに思い出した。
 その夏も祖父と、ほおずき市に出かけた。祖父は、赤い実を見つめながら
「家族ってえのはなあ、血のつながりだけじゃあない。愛情なんだよぅ」とぽつりと言った。その夜、祖父は満州にいた頃のことをたくさん話してくれた。それが、祖父との最後の夏となった。
 私は感謝している。江戸っ子気質の祖父の愛情いっぱいの優しい嘘で、私を、素直にのびのびと育ててくれたことを。