入賞作品の発表

第41回 「香・大賞」

奨励賞
『 光る海 』
髙水 薫春(たかみ まさはる)
  • 20歳
  • 学生
  • 埼玉県

 ただ漫然と消費してはいけない。夏休みの莫大な空白には、何か自分の内側にある決定的なものをこの時間で発見し確定させねばならないという強迫めいた要求がある。だから、大学1年の夏に都心の書店で友人が衝動的に提案してきたこの小旅行は、僕にとってある種の宿題でもあった。
 何時間も電車を乗り継ぎ降りた駅、都会の雑踏から隔絶された遠い海原の香りが鼻をつく。散策した夜の港は、打ちつける波の音と友人の声だけが響く巨大な密室。天井に描かれた深く美しい星空は、目当ての店が閉まっていてチープなコンビニ弁当を選ぶ羽目になったことをもこの素敵な物語の正しい展開のように思わせた。
 房総の静かな街を訪れた目的は鯨の解体の見学。海からゆっくり引き揚げられてくる大きな黒い塊の存在感はまさしく太古の怪獣であった。しかしその巨躯は、バターを切るように滑らかに入る漁師たちの刃によってあっという間にブロック肉に変わり、すぐに市場へ、そして食卓へと運ばれてゆく。このあっけない1時間強の不思議は、グロテスクというよりむしろ美しい営みで、それは世界を成り立たせている最も原始的で最も崇高なロジックだと理解した。香りは時に記憶を蘇らせるが、ここの匂いは高校生のときに仲間と釣りをした際の撒き餌の匂いに似ていた。これが鯨と海、どちらのものなのかは知らないが、その強烈な生の匂いは僕の心に傷をつけた。
 汗をかいた服をコインランドリーに預けて眠ったら、空が青くなっていた。紺碧の水平線の東に茜色がさし、雲の隙間に僕らの太陽が見えてくる。晴れた半島。終わらない波の動き、音。海岸を歩く人たちが砂に遠く長く足跡をつけてゆく。生命を完璧に肯定している世界の連続性を、僕らは確信した。
 強い日射しの電車内、停車しドアが開くたび、その空気は徐々に住み慣れた街の匂いへと変わっていく。生活が帰ってくる。