入賞作品の発表

第33回 「香・大賞」

銅賞
『 祖母のボンボン時計 』
望月 菜津子(もちづき なつこ)
  • 48歳
  • 会社役員
  • 東京都

 時計を見ると深夜1時。日本がいかに安全でも、女一人でマンションのゴミ捨て場に行く時間ではない。でも……行こう。空の大きな紙袋を手に下げる。紙袋を持ったのは、防犯カメラに写った時、ゴミ捨て場への行きは手ぶら、帰りは大きな手荷物では、不審に思われそうだからだ。考えすぎだろうか。
 1階に降りてゴミ捨て場の鍵を開ける。真っ暗だ。電気を点けてすぐ、右手を見る。あった! 一昨日の夜、私が捨てたボンボン時計。梱包材にくるまれたそのままの姿で置いてあった。素早く紙袋に入れ、エレベーターを使わず階段を駆け上がって部屋に戻った。緊張したせいか、少し汗ばんでいる。
 玄関先でそのまま梱包材を開けてみる。その瞬間、泣きたくなった。古い木材と振り子部分の金属の匂いが混ざり合った独特の香りに包まれたからだ。
 7年前の引っ越しの時、業者さんが梱包してくれたボンボン時計。それを一度も開かないまま、捨てたのだ。ゴミ捨て場に横たえた時、時計は1回だけボーンと鳴った。ギクッとした。それを振り切って捨てたけれど、その後時計のことが頭から離れなくなった。
 大好きだった祖母の家の柱にずっとかかっていたボンボン時計。チクタクチクタク……いつも静かな時が流れていた祖母の家では、自宅では気にもしない時計の音が耳に残った。10年前に祖母が亡くなった時、ボンボン時計は壊れていた。私が祖母の形見にボンボン時計を欲しがったので、父がそれを修理に出して、私に送ってくれたのだ。
 世の片づけブームに乗り、思い出は心の中にある、と自分に言い聞かせて捨てようとしたけれど、私を泣かせたのは、7年ぶりに見た時計の姿ではなかった。古い時計の香り、おばあちゃんの香りだった。「おばあちゃん……」時計に向かって話しかけてみた。