1990年9月アーカイブ

赤いヤッケとリゾート開発

「かおり風景」第5回掲載/平成2年

 コンペイ糖をまき散らしたようにキラキラときらめく雪だけの世界。心なしか強くなった日差しの中で目覚めかけた木々の間を吹き抜ける清々しい風をうけ、その風の唄に伴奏するかのようにカラカラとなるリフトの音が心地よい。人気のほとんどない谷は兎の足跡と春の日差しだけが楽しい静かな世界だった。「白い雲と青い空と赤いヤッケとあの娘と……」高石ともやの『想い出の赤いヤッケ』をいつのまにか口ずさんでしまう。飾り気のない小屋では暖かい豚汁がおいしかった。

 古い記憶の中でいつまでも変わらない谷にようやく開発の計画が進み、設備の整った大きなホテルがオープンしたと聞き、出かけてみた。カバー付きの4人乗り高速リフトが連続的なモーター音をたて、見上げるだけだった尾根の頂きまでいくつものコースがついている。恥ずかし気もなく国際と名乗っている事にかえって親しみを感じた山深い小さな谷が、すっかり胸をはった国際スキー場に様変わりしていた。少々複雑な心の中では「見てみろ、やっぱりここはいいスキー場になっただろう」と変な満足もしている。短期の休暇をやりくりして子供と楽しむ家族スキーには、適度なバラエティ豊かな様子が丁度良い。ましてホテルに直結していることもあり、友達2家族と共に過ごすこれからの二日間に何か楽しげな期待を感じさせてくれた。

 若干のイメージの狂いを感じたのはチェックインの時だった。それからチェックアウトまでの間に、3家族がそれぞれに何か不思議な不快感を次々と経験してしまう。とうとう最後に少し声を荒げて苦言を呈してしまうまで、事ある毎に出くわす稚拙な応対は、単に学生アルバイト中心だから仕方がないとは片付けられない。「少しでも快適な滞在を」というサービスにたいする基本的な考え方が経営サイドの発想の中にないように思えるのだ。あれは現場スタッフの態度などの問題ではなく、あのホテルを作り経営する人間の心の貧しさとしか思えない。

 まったく選択の余地がないあてがいぶちの夕食や夕方5時に気後れもなく申し訳程度にやってくる部屋の掃除、洋定食についてくるコーヒーはコーヒーでしかなく、紅茶に代えてもらうことができないといった事。改めて思い出すとなかなか楽しいジョークのようでもある。でも夜9時過ぎに問い合わせるまで「至急」で送られてきたファックスの連絡がもらえないとか、知人の子供さんが宿泊しているにも拘わらず部屋の番号が判らない等と対応するフロントにいたっては「冗談じゃない!」となってしまうのである。

 このホテルはある有名会員制リゾートクラブのチェーンでもある。実はこの点がますます僕を悲しくさせてしまうのだ。余暇の時代とかリゾート列島とか言われ出している昨今、かけがえのない自然の恵みと歴史の資産を少々犠牲にしてでも快適性を加味するためになされる開発の大決心は、もっと洗練された感性と厳しい責任を持って担当されるべきだと思う。何かしらそこに滞在したばかりに、スキーというファッショナブルな魔法にかかっているうちにブロイラー教育を受けてしまったような気がしてならない。この状態で提供されているサービスに代価を払って疑問を感じないとしたら、私たちの方にも社会的責任はかかってくるのではないだろうか。

 「何か印象に残るお客さんなんですよねー。」といいながらまたチェックアウトを担当してくれたフロント嬢のおかげで気持ち良く出発できた。この心の会話こそが何ともリゾートなのだ。

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。