30年という歳月

「かおり風景」第33回掲載/平成30年

 いよいよ平成が30年で終わろうとしています。私にとっては、あっという間の歳月でした。30歳代半ばから60歳代半ばまで、吾が人生の中心を全うした日々でした。社会的にも、バブル崩壊によって引き起こされた「失われた10年」や、阪神淡路大震災、東日本大震災など、強烈なダメージをいくつも乗り越えながら、我が国は、世界的には稀に見るような安全安心な社会をなんとか確保してきました。私たちの生活環境は、デジタル化が加速度的に進化をもたらし、情報化社会といっていたものがバーチャルを生み、今やITやAIによって司られる社会運営が有り得るのかといよいよ異次元化が迫っています。DNA操作やiPS細胞によって生命の神秘すら暴かれつつあるのです。もしかして、私たちの嗅覚と香りの関係こそが、最も原始的な世界として最後の砦になるのかもしれないと考えています。
 私には、30年という言葉で思い起こす一時代があります。関ヶ原の戦いから鎖国政策までの歳月が凡そ30年でした。戦国の世に終止符を打って太平の世を謳歌し始めた人々は、既に起こりつつあった刺激的な南蛮交易に一層の拍車をかけました。アジアの各地に日本人町が形成された時代です。私が生業とする香文化にとって、とても大きな影響を残した重要な30年だったと考えているので、この時代は私の脳裏から離れないのです。
 豊富な南蛮交易品の一つに香木や香料がありました。特に香木には高い関心が集まり、徳川家康自らが越南の国王宛に書簡を認めています。マレー半島のパタニやベトナムのホイアンが主な交易港でした。この香木についてはまた機会を改めて書いてみたいと思います。
 香の世界にはさらに、この時代に起こったイノベーティブな事象がありました。この頃に線香製造技術が伝来したと考えています。今日のように豊かな生活を享受できる時代には思いもよらないことですが、細く線状に香を作る技術が紹介されたことで、火を扱う生活に革命的な変化が起こったことと思うのです。お香を焚く方法が簡易になったことはいうまでもありませんが、お線香の普及によって、都度火を熾すことは必要なく、火種を容易く持ち運ぶことが可能となりました。また何よりも、時間を刻むことも可能となったのです。花街には「線香代」や「一本立ち」という表現が伝わっています。田畑に水を分配する時間をお線香の燃焼時間で管理したともいいます。一方、この時代には、江戸幕府によって檀家制度が始まりました。全ての大衆が檀那寺と檀家の関係を持つこととなり、お線香の普及が進むきっかけを作りました。このことが、お線香は仏様のものという短絡的な印象を育ててしまったことも歴史の一面です。平安時代から伝わる我が国独自の香料配合の知恵を練り込んで細い線状の香として作ることができましたので、他に類のない高雅な香りを容易く享受することが可能となったのです。同じ時代に伝来した煎茶の席で一本のお線香が室内を清浄にする姿は、一つの時代の必然性を語りかけていると思われます。
 17世紀初頭、お線香の普及によって30年間に起こった火の扱いという生活革命は、わが国の暮らしを大きく変えてしまったものと慮ることができます。それから400年の歳月が流れて、火の扱いを知らない人々の社会が現実となってきました。太古の昔、火を発見して人類としての一歩を歩みだした私たちにとって、技術革新の進む近未来の生活とはいかなるものであるべきなのでしょうか。平成の30年間に登場し日常化したスマホと、400年昔に登場して今日も生活に潤いを与えるお線香と、イノベーションのあるべき姿を考えてしまうのです。

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。