久蔵不朽 −久しく蔵して朽ちず−

「かおり風景」第28回掲載/平成25年

 昭和21年から22年、戦後間もないときに鑑定を受けた香木がいくつもあります。二つの重箱にぎっしり詰められた香木は大小さまざまで、大きなものは鰹節のよう、小さなものは蛤くらいでしょうか。一つひとつが竹の皮に包まれ、その上を包む奉書には、付与された名前がご先代のお家元によって端正に記されています。二つの重箱はそれぞれが一抱えもあります。少し小振りな方には、「伽羅箱(きゃらばこ)」と甲書があり、これには伽羅ばかりが納まっています。最下段には、畳紙に包まれた極書(きわめがき)がびっしり詰められています。各々の香木の名・種類・品格・香りの味、そして命名にあたって引用された証歌(しょうか)なども記されています。終戦という殊の外厳しい歴史的な節目を耐えたところで、これだけの香木を鑑定する時間がどれほど静かに流れたものか、21世紀の豊かな暮らしを享受する私には量り知ることはできないと慮るのです。
 京都が空襲を免れたことは、大変な幸せだったと今更ながらに感謝します。焼けずに、貴重な香木を伝えることができたのです。また、祖父は、香木の疎開先として岐阜県伊深の正眼寺(しょうげんじ)を頼ったとも聞いています。その努力の甲斐もあって、南国から舶載されてきた貴重な香木がいくつも手元に揃っていたのです。戦後の混沌とした時間の中で、それらに向き合って鑑定をされたお家元と、その横に控えて、香木を切ったり割ったり、また、炭団を熾(おこ)して香炉を整え香りのお相伴もしたであろう祖父。私の記憶に懐かしいあのお二人が、壮年期の貴重な時間を共に過ごされたであろうと、想像がどんどん膨らみます。
 香木の塊から極小片を切り出し、それを柔らかく加熱すると、個性豊かな香りがほんの小さな空間に不思議と醸し出されます。古来、香木は「久蔵不朽」と教えられてきました。長い時間、蔵で保管しておいても朽ちることは無く、いつでも同じ香りを醸し出すものだとされているのです。これは、室町時代の頃に我が国で見出された独特の価値なのですが、このことを知ると、伝承されてきた香木を炷(た)く機会は掛け替えのないひとときとなります。まさに、記憶に残るお家元と祖父がそこにいっしょに座って居られるかのように、懐かしく肉感的な時間となるのです。

 一片の沈水香木が私の手許にあります。将棋の駒ほどの大きさで、とても端正な形をしています。美しい木目はまるで杉の柾目のような生真面目さなので、この小片は自ずと整った切片を持っています。全体が明るい飴のような色目で、光沢のある狐色と言ってイメージしていただけるでしょうか。この香木片には、小さな金箔の紙片が貼られ「紅葉賀(もみじのが)」と記されています。
 およそ500年の昔、足利義政公の命によって志野宗信(しのそうしん)が三条西実隆(さんじょうにしさねたか)と諮(はか)り、当時伝来していた銘香木を鑑定し選定したとされています。以来、これらは「六十一種名香」として我が国の香木文化の絶対的な規範として知られ尊重されてきました。「法隆寺」(一名「太子」)や「東大寺」(一名「蘭奢待(らんじゃたい)」)を筆頭に、61種の香木が語り継がれてきています。「紅葉賀」という名香木は、その一つ。あの源氏物語の名場面に因んで名付けられた香木なのです。

   30年近くも経たでしょうか。父が現役のころ、京都天王町の泉屋(せんおく)博古館で、香関係の収蔵品を閲覧する機会をいただきました。私もお相伴したのです。その時、松浦家から伝来したという立派な沈香木を拝見することが主目的だったのですが、それよりも、黒塗りの大きな箱に収められた一木に出会ったことが、私にとっては大変な驚きでした。真っ黒の漆の箱は、縁に金蒔絵で唐草が施され、甲書にこれも金蒔絵で「紅葉乃御賀」と記されていました。箱を開けると、桐下駄ほどの大きさのある立派な木が現れ、それと共に眠りから覚めたかのように甘く品格のある芳香が立ち上りました。箱の中には、鋸の挽き粉までが大切におさめられていました。香木本体には、大きな金箋紙(きんせんし)が貼られこれにも名前が記されています。当に名香木「紅葉賀」の本体だったのです。やはり木目が素直で美しく、一定の間隔を空けて和紙が何本も木目に対して真横に張り巡らされています。刃物を入れることが叶わないように、厳重に封印を施してあるのです。やはり飴色で一見では淡白な印象を受けます。私にとっては、東山時代から伝わる「六十一種名香」の本体を目の当たりにした初めての機会でした。それがそこに存在するという現実に、歴史の迫力を深く感じた瞬間でした。

 この時拝見した他の香木の中に、「蓮葉(はちすは)」という名の細長く黒い木がありました。帰宅しまして、我が家に伝わる「名香録」という古文書で「いろは」の「は」を調べてみると「蓮葉・後西院勅名・大坂住友吉左衛門所持」と記してありました。これにもとても感動したことを覚えています。泉屋博古館は青銅器のコレクションで世界的に有名ですが、住友家の文化財を伝える蔵なのです。泉屋は住友家の屋号として知られ、その蔵に伝わる一片の香木は、300年ほど昔からその存在が社会的に認知されていたのです。

 我が国に産出することのない沈水香木を、人々は慈しみ守り伝えてきました。今その極小片に優しく加熱しますと、古人の向き合われた香りが、そのまま立ち上るのです。自らの生きた証しとして末代の人々に情緒的価値や美意識を伝えるためには「久蔵不朽」という香木の力は、他のものには為し得ない不思議な説得力を発揮したのです。

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。