2011年9月アーカイブ

「かおり風景」第26回掲載/平成23年

 広く早く情報を伝えるために、とても有効に力を発揮するネット社会。SNS(ソーシャルネットワークサービス)という新世界の使い方ひとつで、政治も経済も、世論も消費動向も、大きな流れを生む可能性が認められ注目されています。
 しかしそれと同時に人間社会の本質を考えるとき、そんなものではないと小さな声を上げつつある人が増えていることも事実だと思います。大きく情報を集めることの大切さとともに、現実が何か、事実は何か、確実なことは何か、心の襞が震えるものは何なのか、身の丈に合った情報を確認しながら、自らの責任ある判断力を積み上げていくことを大切にしたいと願っています。特に情報化社会に育つ世代の人々とこの価値を共有したいのです。


 「暖かい手をしているね」「力強く返してくれたね」......
 大勢の若い世代の人々に話をする機会をいただいた折、時によって前列の聴講者の中で目のあった人に歩み寄って不意に握手を求め、このように話しかけることがあります。会場全体が、何が起こったのだろうとキョトンとして空気が変わります。当のご本人は、戸惑いながらも素直に握手に応じてくれて笑顔を返してくれます。突然ごめんなさいという気持ちもあるのですが、私はあえて遠慮をせずにこのような悪行に出てしまいます。
 何となくそこに座っている一人ひとりが、どのようにしたら「主人公」としてその場と時間を主体的に享受してくれるのか。日常生活の中で緊張のレベルを若干引き上げて、ものごとを惜しむ意識を持ってほしいと願って挑戦します。おかしな小父さんと思われてもいいか......くらいの気持ちで踏み込みます。社会通念が大きく変化を続ける中で、ハラスメントなどと誤解されないように、気を遣っているつもりではあります。
 そしてその後、会場の全体に話しかけることがあります。それは「暖かい手を......」などという情報は、握手をした当事者二人だけが得た情報であって、他の人々にはだれ一人、体感というレベルでの理解は及ばないという厳然たる事実を確認してもらうことです。身をもって知ることの絶対的な説得力とはどういうことなのか、みんな頭では分かっていても切実な必要性など大して感じていませんから。そして五感を駆使することの楽しさを一緒に考えようと語りかけます。
 情報化社会を意識してどれほどの時間が過ぎたのでしょうか。様々な局面で、人々の動きが大きく変わってきたことは明らかです。世界各地で起こりつつある社会革命が、ブログ・ツイッターやフェイスブックなどで一気に堰を切って展開していることは、その象徴的な事象といえるのでしょう。東日本の大災害の状況もいち早く世界に配信され、様々な形で人々の心に深く響き、世界中で多くの人々を動かしました。動画配信サイトも大変説得力があります。
 しかしその情報化社会の実態とは、視聴覚世界の革命的な増強でしかありません。このことを今一度確認する時が来ていると、私には思えて仕方がありません。
 私たちが身の回りで日常的に得ている情報には、五感との関係によって様々な付き合い方があります。遠い距離を超えて届いてくる光や音は強く具体的で情報量も圧倒的に多いことから、元々、私たち人間にとって情報収集の中心的な位置にありました。それがデジタル化できたことから一気に革命的な変化を遂げて、そのパワーを増しているのです。デジタル化できることで作為も容易になり、情報は安易に弄ばれることにもなっています。これが情報化社会の実態だと私は思います。
 一方、温度や肌触り、味や香りのように、手の届く範囲でしか得られない情報もあるのです。これには、まったく物理的な出会いが必要です。現場に立ち会った当事者だからこそ知っているあの記憶というものが、どれほどに一人ひとりの生きざまに影響をもたらすものか、視聴覚だけでは全くあり得ない重要な要素を知ることができます。
 香りの果たす役割はいかなるものか、再確認の時が来ています。

※発表年代順

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。