2009年9月アーカイブ

匂いの発見

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「かおり風景」第24回掲載/平成21年

 石器時代は、およそ200万年もの昔に遡るという。石と石をぶつけながら作り上げた石斧や磨いて作った石皿など、図鑑の写真や博物館の展示で知られている。すでにこの時代の石器人たちは、火山や落雷など、さまざまな自然現象の結果として十分に火を知っていた。もちろん、その火を手に入れて生活に使用もしていたのではないだろうか。

 そのような古代人の営みは徐々にゆっくり進化を続け、ついに自分たちの力で火を作り出すことが可能となった。今からおよそ50万年の昔、「火の発見」として考えられている。

 この「火の発見」のことに意識を留めてから、私は大変不思議な事実に思いを馳せるようになった。21世紀を迎えたこの地球上で、今日になって未だ、私たち人類だけがこの火というものを自由に扱うことができるという事実だ。いったい、神は何を思ってこのような偉大な許しを私たち人類にのみ与えたもうたのだろうか。火をわが物にするということは、私たち人類にとって何を意味しているのだろうか。もしこの火がなければ、私たちは、他の生命体と同じレベルにあることに甘んじなければならない。いったん火を手にした原始の人々は、火を失うことの恐ろしさをどれほど切実に体感していたのだろうか。火を失えば、闇は闇として厳然とその存在を主張し、私たちの命の営みは、その半分を闇によって支配されてしまうのだ。ひとたび火を手に入れた人々は、二度とその火を失うことの無いように、次々と身の周りのものを火に投じ続けたものと容易に想像することができる。「焚く」という文字の意味するところが見えてくる。

 さまざまな動物たちの中には、長い進化の過程で道具を使うことを学んできた事例はいくつもある。貝をぶつけて殻を割り美味しい身だけを食べるラッコの知恵や、木の枝葉を集めて営巣する鳥やビーバー。折れ枝で蜜をなめる熊や石を落として木の実を割る猿など、道具を使う動物の知恵の事例は多様に報告されている。イルカのように、高周波の言葉を持つ種も知られている。しかし、火を扱えるのは私たちだけだ。もし人類以外の何ものかが火を自由に扱いだしたとしたら......。考えると、その恐ろしさはいかほどのものだろうか。

 類人猿の調査のためにたびたびアフリカの奥地へ調査に入られる学者にその様子をうかがったことがある。滞在のキャンプ場所を定めたとき、一番に取り組むことは、まず火を熾すことだという。獣から安全な距離を確保するためかと伺うと、虫類を追いやる煙を手に入れることが重要だとのこと。また、煙によって、保存食を作ることも可能になる。燻蒸や燻製も、火の発見から得た原始的な知恵であったのだ。

 ありとあらゆるものを火に投じ、予期もせずに出会った非日常な匂いというものも大きな発見であったろうと思う。匂いは、一定の大きな空間の気分を変え、人々に情趣を与えたり余情を残したりする。火によって熱を加え匂いを得ることを焚香(ふんこう)と言い、その素材の総称に焚香料という言葉がある。自然界に元来存在していた火や煙や匂いを、技術とともに自らの意思で自由に使いこなす知恵は、大変な原始の段階で、人類を人類として独歩せしめる大きな要素であった。

 「KYOTO BOX」(※)と名付けられた箱が、世界で話題になっている。世界の未文明化地域では、21世紀の今日も多くの人が、原始の時代のままに一人一日20キロの燃料を採集し燃焼し生活しているという。まさに林を火に投じ続けている人々の営みなのだ。それが砂漠化を引き起こし温暖化を招く。この驚異の箱は、その対策として発明された。

文明化を謳歌し、日常の生活で火を見ることも少なくなった現代社会人は、いま少し原始の基本を慮る必要に迫られるのではないだろうかと、ひとり危惧を深めている。

 

※太陽光を利用した段ボール製調理器
英誌『ファイナンシャル タイムズ』などが開催したコンテスト「FT Climate Change Challenge」で大賞に選ばれ、ケニアに活動拠点をおくノルウェー人開発者のジョン・ベーマー氏が京都議定書にちなんで「京都ボックス」と名付けた。地球温暖化防止に期待されている。

※発表年代順

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。