2008年9月アーカイブ

源氏千年紀に

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「かおり風景」第23回掲載/平成20年

 源氏物語千年紀。本年は、京都を中心に数多くの催しが繰り広げられています。展覧会にシンポジウムや講演会など、源氏ファンでなくとも興味深い企画が目白押しです。

 千年もの歳月をかけて、源氏物語を主題として実に多様な広がりが生み出されてきました。その一つ、私の手元に錦絵の折本があります。大判版画が72枚、2センチほどの厚みとなっています。すべてが3代目歌川豊国による錦絵で、折本に仕立ててあったおかげで色彩がとても鮮やかに保存されています。表紙裏に安藤広重が操り人形の絵を肉筆で添えていて、その表情がとてもひょうきんで楽しいのです。

 この折本は「源氏後集余情」というシリーズになっています。実に奇抜な趣向で源氏物語がパロディー化されています。何度も眺めているうちに力が抜けてふと目に過ぎったとき、「後集余情」が「五十四帖」を捩ったもので「ごじゅうよじょう」と読めばよいと気付きました。思わず笑みを得て、次のページを繰るのがより面白くなりました。

 3代目豊国という人は、なかなか刺激的な人であったようです。初代豊国に弟子入りし、国貞として活躍していた時代があります。一旭斎・五渡亭・香蝶楼などと号し、実に多くの作品が残されています。

 文政12年(1829)から十数年にわたって大ヒットした柳亭種彦の「偐紫田舎源氏」。その挿絵を担当したことが縁となって彼の作風は確立され、世に圧倒的な評価を得ることとなったようです。この物語は、かなりの社会風刺を含んでいました。挿絵は、豪華な調度品に彩られ華やかな衣装に身を包む主人公たちの奢侈な生活振りが特徴で、江戸末期の奔放な風俗を好む大衆に多いな刺激を与え、人気を博することになりました。

 天保13年(1842)、天保の改革によって「偐紫田舎源氏」は幕府から絶版の命令を受けてしまいます。役者絵や遊女絵などの錦絵も禁止されました。このことから、木版画は故事来歴や歴史人物そして文学などにその題材を求めるようになりました。源氏物語は、好題材として再び注目されることとなったのです。

 奢侈な風俗を禁じる幕府の方針に対し、「古典文学を主題にし......」と言い逃れる中で世に広められた錦絵の世界。私の手元にある「源氏後集余情」はその一つです。師匠の没後、同門の豊重が2代目豊国を襲名しているにもかかわらず、国貞は天保15年(1844)豊国(3代目)を名乗り、精力的な活動を繰り広げていきます。

 この「源氏後集余情」の中には、梨子地の蒔絵を施した四方盆に青磁か染付らしい香炉を載せて香を焚く様子が描かれています。香炉からまっすぐに細く立ち昇る煙が先の方で柔らかく棚引いている様子など、実に自然体なのです。いつか同じような道具を揃えて使ってみようかと、なんとも楽しいことを思い描いているうちに、ふとこの絵に教えられたことがあります。私が煙と思い込んでいた描写は、実は、香りの立ち昇る様子でした。銀葉と呼ぶ小さな雲母板が描かれているのです。この板を用いる時は、とても繊細に香を温め煙も立たないほどに香りを演出します。香りは、描かれたとき既に煙に見間違われてしまうものだということを、この絵は私に教えてくれました。描かれた様子から私たちが煙と思い込んでいることは、他にもあるのではないでしょうか。浦島太郎の玉手箱など、いかが思われますか。太郎が箱を開けて立ち昇ったのは煙ではなく、生まれ故郷の香りだったのだと私は考えています。その懐かしい香りと共によみがえった記憶の中で、太郎は、異国で費やした大きな時間の意味に気付いたのだと思うのです。

 千年紀にあたって、文学としての源氏物語に再び大きな注目が集っています。しかし同時に、その源氏物語を主題に取り上げて様々な営みを繰り広げてきた後世の人々の創造力や工夫にも、ぜひ関心を寄せていただきたいと願っています。

 「源氏後集余情」に負けないほどの楽しいウィットが現代にもあります。
「大掴源氏物語まろ・ん?」や「あさきゆめみし」などなど、いかがでしょうか。

※発表年代順

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。