2003年9月アーカイブ

「かおり風景」第18回掲載/平成15年

 わが国のように歴史や文化の豊かな国では、伝統という表現はいかにも相応しく、耳に響いて心地のよいものです。私が住まいする京都では、伝統は空気のように存在していて、みんなが日常の中で呼吸しているかのようでもあります。しかしその一方では、伝統とは何ぞや、老舗とは何ぞやなどと、結論のないままの議論が繰り返されていることも事実なのです。また同時に、伝統が息づく環境では人々は革新をも好み、このことはまさに歴史が証明してくれています。今となっては歴史の大きな要素として認識されている幾多の事跡のほとんどが、その時代においては大変な革新でありました。歴史をほんの少し冷静に見つめなおすことによって、いとも簡単に理解することのできる事例はいくつも発見することができます。

 第三者的に考察する限り、この二つはとてもわかりやすい関係なのですが、今現在歴史を生み出しつつある当事者として、その進行形の中においてどのように理解しつき合っていけばよいのでしょうか。興味深くもあり実に難解な主題だと、わたしは受け止めています。

 伝統と革新。この二つに対して、どのようなイメージを持つものか、何人かの人に意見を求めてみました。


伝統...古い、やわらかい、保守的、暖かい、幹、重い、深い、丸い、こだわり、分厚い、足かせ、安定、紫色、茶色、京都、失敗がない、歴史......。


革新...新しい、勢い、刺激的、赤、黄、枝葉、輝き、軽い、浅い、若い、変化、生まれる、鋭い、アンチ、試行錯誤、期待、失敗、未知、東京、話題性、破壊......。


 二つのイメージ整理に、同じような印象をもたれる方は、いかほどおられるのでしょう。

 実に多くの人々が、あらゆるジャンルにおいて直接間接さまざまに伝統と革新の関係に取り組んでおられます。私もこの二つのコントラストを意識して、多くの活動を続けてきました。不易流行、温故知新。意を近しくする名言も古今たくさん知られていますが、いまさらという思いもあります。しかし、経験上なんとなく感じることは、革新のほうが、若く、楽しく、陽が当たり、話題になり、もて囃され、取り組むに易い、ような気がするのです。マスコミ受けするのもはるかにこちらのほうが多く、私自身の事業だけを考えても、多くの提案を重ねてきた結果は革新的と見えるこの元気さだと、改めて振り返ることができるのです。


 伝統と革新、この二つの関係に関して、最近とても感じることがあります。間違っていた、そのとらえ方を......。


 私たちが、明るく接し、常に変化を求めて鋭くかかわるべきものは、伝統のほうではないでしょうか。まさに伝統に学ぶことが楽しいことなのです。一方、革新は、重く深く厳しいものだと認識し、常に真剣勝負を覚悟すべきもののようです。革新という言葉で表現される多くのものが、この厳しさを知らずして、大きく自己満足的に終わっているように見えてしまいます。革新が本当の意味で責任を伴ったとき、初めてそこには他者からの評価に対する真摯な姿勢が生まれ、社会性という名の勲章いただく可能性に出会えるのではと期待します。逆だったのです、つき合い方が......。

 私たちは、伝統をこそ楽しむべきなのです。そして、革新とはいかに重いものかと自らに言い聞かせる必要があります。この二つの関係がまさに紙の表裏のように一体となることができるなら、常に、その紙として私たちが生きているという存在が見えてくるのではないでしょうか。私たちの革新的な活動は、同時に伝統の壁を常に塗り増し続けるものでなければなりません。昨今の消費社会における事例の多くが、伝統という資産を消耗しながら、あるいは切り売りしながら、社会性を問わない革新モドキの連続的な羅列に終わってきているではないですか。自問の毎日となっています。

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。