2002年9月アーカイブ

「かおり風景」第17回掲載/平成14年

 鈍く沈む木塊。良質の「沈水香木」を一口に表現するなら、このようなことだろうか。色は、茶褐色、赤黒いもの、黄みを帯びて浅いもの、濃い黄土色、尋常の木質色と樹脂色の斑模様などと、いろいろなものに出会う。見た目だけで、特に表面の色だけでの判断など間違いの元となる。手にとってその質感を感じると、はじめてその木塊のなかに凝縮された天然の樹脂の集中力を感じることができる。水中で沈んでしまうほどの比重を持つことから「沈水」とされ、加熱することで不可思議な芳香を醸し出すために「香木」と呼ばれてきた。今日では「沈香」として知られている。東南アジアのかなり広い地域に分布するとはいえ、地球上の他の地域には絶対に見当たらない。全く偶然の産物として自然条件が揃わないと生み出されないもののようで、その意味で、特に良質の木塊を手にすることは大変に難しい。古来、中国の歴史においても、主要産地であるベトナムの歴史においても、王侯貴族にのみ許された貴重品として認識されてきた。ましてや我が国においては、舶載されて来る限られた品々を一つ一つ慈しむように評価し、家の宝として末代に伝えるまでにその存在を珍重するようになった。

 私には、この沈香木に数多く出会うことが許されてきた。そして、一つ一つを焚くことによって教えられた道がある。

 香道の世界では、この沈香木の極小片に柔らかく熱を加える。炭団の火を香炉の灰の中に埋め込み、静かにその熱を呼び出しながら雲母の小板を加熱し、そのやさしい熱の上に天然の沈香の米粒大ほどのものをのせる。ほのかな、しかし、しっかりした香気が小さな香炉の上に立ち昇ってくる。

 私たちは、その香気に接したときに、様々なコメントを加えてしまう。好き嫌いに始まり、甘いや苦いなどの味で表現したり、またかとか初めてだ、などと言ってみたり...。それこそその香りを享受する私たちのほうが千差万別であるから、各自個性的な評価や表現をすることが私たちの目的であるかのように考えてきた。もちろん、このことに異論を挟むつもりもなく、個の自由や個の尊重を考えるなら、一つの天然の香気に接したとき、いかなるリアクションが生み出されるのか、その表現の豊かさを期待することこそが、人間社会に交わるうえでの面白さであるといつもひそかに楽しませてもいただいている。

 しかし、この沈香木の香気が、全く人間の介在できない天然界の偶然によって生み出されてきた個性だと認識し、あらゆる科学の可能性をもってしても到底再現することのできない、人智の及ばない世界で神のみぞ知る、これこそが千差万別の存在であると気付いたとき、私は、私の付与しようとした価値観が如何にチッポケなものかと、たじろいでしまうようになった。私が脳裏に生み出すことのできるコメントは、その全てが私の経験値の範囲の中で判断しつつある私の価値観でしかなく、ならば、私の経験値とは、いったいどれほどのものなのだろうかと、素朴な疑問を感じるようになったのだ。専門家としての私の経験値。しかしこれとても、神のみぞ知る天然界の摩訶不思議な力からすると、どこまでいってもその極一部を語ることでしかありえない。ならば、わたしは、自らのコメントを発する前に、一つ一つの香木との出会いを天然界との新たな出会いと尊重し、もっと素直に謙虚に立ち向かう術を自らの中に見つけることの方が、喜びも大きくなるものと感じるようになっている。このことが、私の中の経験値のレベルアップをしっかりと自覚させ、外に向かってコメントを発する以上に、内に向かってデータベースの整理と充実を楽しませてくれる。

 茶の湯の世界でいう「目利き」という言葉は、まさにこのことを言うのではないだろうか。良質の経験を重ね能動的にかかわることによって、自らの感性の経験値の中に、絶対的なデータベースを築き上げ且つ運用していくこと。専門家のあるべき姿を教えられた気がする。

 図書館においても、まずその蔵書が良質でなければ基本的な館のレベルは評価されない。その量ももちろん圧倒的であるべきだ。しかし、それが山積みされていたのではもちろん役に立たず、常にあらゆる角度からのインデックスを整理しながら、臨機応変にその蔵書が運用され活用されてはじめて図書館としての機能を評価される。同じことが、私たちにも問われ、単に専門家として特定の主題にかかわるだけでなく、人としての生き様に大きく方向を与えてくれる楽しさだと昨今感じるようになった。良質且つ有用なデータベースの構築は、図書館を例にとって解説され理解されることが多く、コンピューター上の話としてすまされている。しかし、私たち自身の自己啓発とはこのようなものではないかと単純に見つめなおして理解を改めている。沈香木が天然界からの贈り物であるがゆえに気付かせてくれた、私への示唆あふれるメッセージだ。

※発表年代順

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。