2001年9月アーカイブ

3650

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平成13年

 3650。


 この数字を見て、果たして何を連想されるだろうか。

何か同じことを3650回繰り返してほしいと依頼をされれば、ちょっと途方もないことのように思えてしまう。同じものを3650個作ってほしいと頼まれても、そう簡単に引き受けられる数字ではない。「千」という数字でも、ほとんど到達不可能なことのたとえ話に古来使われてきたのだ。千羽鶴・千代の友・千枚漬け・千里眼・千枚通 し・弁慶の千本刀などなど...。思いつくままにきりがない。
プロ野球の世界でも、2000本のヒットを打てば、名球会に登録されるという。ましてや3650という数字となると、なかなか迫力を持った響きとなってくる。「万」ともなれば、その一言でほとんど無限に近い宇宙のような世界を表現してしまう。亀は万年・万戸の声・万年の雪・万年床・万病・万引き・万年筆・万歳万歳万々歳...など、果 てしのない世界が続く。

 ところが、この同じ数字が、見方によってはとても具体的に身近なイメージを持ってくる。たとえば、万歩計。3650歩の歩き方では全く持って意味をなさない。「中高年の健康管理のために、せめて一日10000歩くらいは歩きなさい。」などと忠告を受けられた方は、決して少なく無いと思うのだ。 「万」という数字は不到の領域を漠然と示唆しながら、人間の把握できない無限のニュアンスを教えてはくれるのだが、また一方では、歩数として考えると具体的な目標と化してしまう。

 時として身近に、また時として近寄りがたい永遠の世界として私たちを取り巻いている数字。このように見てみると、数字は千変万化の魔物に見えてくる。

 さて、3650という数字。私にとって、これは絶対的な意味を持っている。今後10年間に寝ることのできるであろう確実な回数なのだ。3650回しか寝ることができないと気が付いたとき、私はエッと立ち止まってしまった。まさかと思って計算をしなおしても、やはり3650回しか許されそうにないのである。これを日数に数えて3650日というと、ニュアンスは幾分変わってくる。「...まで後◯◯日」などとどこかの街角に立てられた電光掲示板のように考えてしまえば、「まだまだあるな...」ぐらいの感覚で、おおらかに構えることができるのだ。 ところが、寝ることのできる回数と捉えたとき、なぜかとても小さな数字に見えてくる。当たり前のように繰り返す「寝る」という行為が単純に積み重ねられて、あっという間に過ぎていきそうに追いつめられてしまうから不思議だ。

 一日の内に私たちが出会う大勢の人たちや、経験する新しい学習、思いめぐらす様々な心の動きなど、複雑な時の流れを考える限り、3650日という数字はなかなか把握することが難しく、漠然とした大きなニュアンスを抱かせてくれる。「10年ひと昔」とか、「一人前になるには10年の辛抱」などと簡単に表現してしまう。5カ年計画を立てれば、二つの大きなプロジェクトを完成させることも可能な時間ではあるけれど...。実際は、3650回しか寝ることが許されていない。このように思うと、今夜の一回が、とても大切で貴重に思えてくる。どの様にしたら一回を充実させることができるのか、複雑な一日に見合っただけの睡眠を積み重ねることができるのか、これはなかなかおろそかにできないと一人考えてしまうのだ。

 どうぞ充実した3650回の眠りをお与えください。それに続く次なる3650回を、またその次の...。神仏の加護を祈ってしまうのは、私だけなのだろうか。

※発表年代順

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。