1999年9月アーカイブ

「かおり風景」第14回掲載/平成11年

 1980年代の中頃になって「新人類」という言葉が使われるようになりました。新しい感性を自由に働かせながら従来にはみられなかったようなライフスタイルを具現化しだした若い世代。日本におけるテレビ世代がいよいよ社会進出してきたのです。その世代をとらえて、戦後の日本を築き上げてきた戦前・戦中派と呼ばれる世代の人々が新たに生み出した言葉だったのです。当初は、価値観や道徳観などの違いから、戸惑いと眩しさと若干の諦めなども交え「困ったものだ」というニュアンスを持って、少々ネガティブな表現として使われていたと記憶しています。営々と築き上げられ「我が国の」と信じて疑われなかった美徳や、戦後日本の復興と繁栄を支え続けてきた信念や常識というものからみて、この「新人類」と捉えられた世代はあまりにも違いすぎていたようです。

 今やそのテレビ世代が作り出す情報化社会の中で、東京オリンピック後の世代が国を預かり、第2次オイルショック以降の世代がいよいよ社会参加しようと胎動を始めています。「新人類」という言葉自体が既に陳腐化しつつあるようです。

  日本の文化史を語るとき、私はこの「新人類」という表現を好んで使う事があります。ちょうど鎌倉時代から室町時代に変わる14世紀、京都の街には活気を帯びた人々が溢れました。旧態の権力構造に満足せず、時代の動きに敏感に反応しながら自らの実力を持って都へ上ってきた人々の中で、特に新しい文化的潮流を捉え大陸から舶載される唐物を使いこなし、全く新しい生活様式を持って都で話題を振りまいた人々があります。「婆娑羅」と呼ばれた人々のことです。無遠慮・派手・乱暴・粗放などとあまり上品な印象が伴わず、どちらかというと時代の異端児的な扱いを受けてきたように思います。しかし私はこの婆娑羅な人々のことを「中世日本の新人類」と呼んでいるのです。

 婆娑羅と新人類と、この二つに共通する大きな要素は、旧態の価値観を身に着けていないことが幸いして、その古典的な常識や因襲的な捕縛に囚われることなく、それに対する素朴な疑問を投げかけながら新たな創造性を柔軟に発揮するところにあります。これらの若い芽吹きが旺盛にその可能性を模索しているときは、悲しいかな旧態の価値観に視点を置いている限りは、単なる混沌の世界にしか見えないようです。しかし、14世紀の婆娑羅な人々の生き様は、間違いなく次の15世紀に、そして今日の日本に強く影響を及ぼしています。この混沌の沼に根を張り芽生えた文化こそが、また一つの我が国の骨肉として今日まで評価を受け続けてきたのです。また、下克上に生きた戦国武将や、侘び・さびの数寄者、歌舞伎者などなど、追うようにして登場する数々の個性派達は、よくよく考えてみると全て「新人類」の尊称を与えるにふさわしい力強さと斬新さを兼ね備えていたのではないでしょうか。

 現代の「新人類」に「婆娑羅」と化してほしいのです。「新人類」の生き様が、個人のレベルで全うされて終わってしまう感性そのままの世界では、社会的な賛同者を得るに至りません。「婆娑羅」と化すには、哲学的な鑑識眼に裏付けられた社会的普遍性によって自ずと具えた他者への説得力が求められているのです。「新人類」にとっての社会性などいかにも不似合いな要素のように見えるのですが、現代の「新人類」が社会性を意識して、次なる時代に対する責任をその創造的なシナリオ作りの中に織り込むことを始めれば、次なる時代を形成し得る「真新人類」の登場はそう遠くないと信じています。

※発表年代順

筆者
畑 正高(香老舗 松栄堂 社長)

千年の都に生まれ育ち、薫香という伝統文化を生業にして、日頃考えることや学んだことを折に触れ書きつづっています。この国に暮らすことの素晴らしさ、世界の中に生かされていることのありがたさ…お気付きのことがありましたら、お聞かせください。